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三島由紀夫没後40年目の憂国忌(3)

 三島と犬猿の仲だったと言われる太宰治は、愛人の山崎富栄と心中している。遺稿の題名はまるで別れを告げているかのような『グッド・バイ』で、これも同様に現実と小説がリンクしていたように見える。太宰の場合は何度も死のうとしては生き延びてきたことから、本当に死ぬ気はなかったとも言われているが、常に本気で死ぬ気ではあったのかもしれない。その証拠に、最初の小説集からして『晩年』と名づけたほどである。

 玉川上水から太宰の水死体が発見された6月13日が彼の誕生日だったのも不思議な偶然だが、自らの死をデザインできたのは最期まで三島と競った結果なのかもしれない。自分で書いた物語のエンディングは作者が決めることができるけれど、作者が生きる現実のラストは自ら決めることができない。作家が小説を終わらせるようにして人生を閉じてしまうのは、自分の人生にまでオチを付けようと考えてしまう一種の職業病のようなものにも思える。

 太宰とは逆に三島と仲の良かった美輪明宏は、今年10月19日にフジテレビ系列で放送された『女神のキセキ』に出演した際「自決する前の三島さんに会ったとき、彼が二・二六事件の青年将校の霊にとり憑かれていることに気付いた。何とか除霊を試みようとしたが、大勢の霊に邪魔されて、連絡をとることができなかった」と語っている。二・二六事件は1936年(昭和11年)に起きたクーデター未遂事件。翌年までに首謀者のうち2名が自決し、18名が死刑を執行されている。で「昭和維新断行」を合言葉にしていた彼らにとって、昭和と共に生きた三島は、寄り代として適格だったのだろう。

 三島が決起に至った理由は「陸海空軍を保持しないとする日本国憲法第9条第2項と自衛隊の存在は矛盾しており、自らを否定する憲法と闘うべきだ」との考えからであったとされている。当時の隊員らに三島の言葉は届かなかったが、今年に入ってから自衛隊元幕僚長による反中デモや、海上保安庁航海士による尖閣ビデオ流出など、憂国の士による動きが活発になってきている。かつて三島に憑依した二・二六事件の青年将校の霊は、今やもう黄泉の国へ旅立ったのだろうか。あるいは今も日本のどこかを彷徨っているのかもしれない。三島や森田の霊と共に。(工藤伸一)

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