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俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈ド迫力の外国人“頂上決戦”〉

 「出る前に負けることを考えるバカがいるかよ!」(アントニオ猪木)
 「時は来た。それだけだ…」(橋本真也)
 今ではこれらセリフとともに振り返られることの多い1990年2月10日の新日本プロレス東京ドーム大会。当初、大会の目玉とされていたのは、米国WCWで看板スターとなったグレート・ムタの凱旋マッチだった。
 対戦相手も新日初参戦となるリック・フレアーという豪華カードで、新日ファンに限らず注目を集めていた。しかし、これが突如、一方的にWCW側からキャンセルされる。
 「同年4月に開催予定のWWF興行『日米レスリングサミット』に新日が協力することになり、これに対し米国でWWFと興行戦争を繰り広げていたWCWが難色を示したのです」(プロレスライター)

 最大の売り物を失ったのでは、大会開催そのものが危うい。新日の社長に就任したばかりの坂口征二にとっては、最初の大仕事でミソをつけることにもなる。
 そこでひねり出したのが全日本プロレスへの協力要請という、当時としては誰も想像すらしていない離れ業だった。これにジャイアント馬場は二つ返事でOKを出す。
 しかも、坂口の申し出は、かつて新日でも人気を誇ったスタン・ハンセンを借り受けたいというものだったが、馬場からの返答は「ジャンボ鶴田や天龍源一郎も貸し出す」という予想外の大盤振る舞いだった。
 「表向きには“坂口の社長就任祝い”でしたが、その裏には馬場なりの計算もありました」(同)

 実はフレアーの新日参戦が決まったとき、これに先立って新日と全日との間で結ばれた『引き抜き防止協定』に引っ掛かるとして、問題が生じていたのだ。
 日本においては全日側が権利を持つフレアーを新日が招聘するにあたり、馬場が代償として要求したのはスティーヴ・ウィリアムスの移籍だった。
 「フレアーの新日参戦がなくなれば、その移籍話も消えてしまう。しかし、馬場としては以前から目をつけていたウィリアムスを、どうしても獲得したかった。そのため、新日に恩を売るにしても、ハンセンの1回きりの貸し出しでは釣り合わないと考え、鶴田や天龍もと言い出したわけです」(同)

 思惑はどうあれ、初の全日と新日による本格対抗戦は、ファンにとってムタの凱旋以上のインパクトを与えることになった。
 発表と同時にチケットは完売。試合当日には東京ドーム周辺に、入場できないファンが層をなした。
 水道橋駅からドームへ向かう陸橋では、大勢のダフ屋が「5万!」「7万!」と威勢のいい声を上げていた。

 大会も中盤となる第7試合。花道に鶴田が登場すると、ドームが割れんばかりの大歓声で迎えられ、日本のプロレス界では初めてとなる観客席でのウエーブも巻き起こった。
 ただし、試合そのものはやや低調に終わる。鶴田&谷津嘉章vs木村健吾&木戸修は、格の違いから鶴田組の圧勝。続く天龍&2代目タイガーマスクvs長州力&ジョージ高野は、どこかチグハグで噛み合わない試合となった。

 顔合わせの新鮮さ以外に見どころの少ない展開に、やや冷めかけたファンの気分を再度燃え上がらせたのは、続いてのビッグバン・ベイダーvsスタン・ハンセン。両団体トップ外国人の激突であった。
 試合開始早々、両者殴り合いの中で、ベイダーは右目眼窩底骨折の重傷を負う。その痛みからマスクを脱ぎ捨てると、場内ビジョンに、ベイダーの腫れ上がったまぶたが映し出された。
 しかし、どよめく観客席をよそに試合は続行! 負傷のハンデもなんのその、ベイダーはコーナー最上段からのベイダー・アタックとボディーへの重爆パンチで畳み掛け、ハンセンの予告ラリアットもドロップキックで迎撃してみせる。
 これにハンセンもブルファイトで応戦。一瞬の隙をついた不意打ちラリアットで両者場外へ転落すると、果てをも知らぬ乱闘へとなだれ込んでいった。
 結果、両者リングアウトとなったが、平成版トップ外国人対決のド迫力は、大いに観客を満足させたのだった。

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