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奈良の神社話その四 ならまちに残る陰陽師の足跡──奈良市・鎮宅霊符神社

 町家が立ち並ぶ「ならまち」界隈。ミニ博物館や雑貨店なども軒を連ねる人気エリアの片隅に、かつて陰陽師たちが暮らした一角が残っている。

 陰陽師と聞けば、平安京のスーパースター・安倍晴明を思い出す人が多いだろう。彼の活躍はあくまで創作だが、そのことを差し引いても、平城京の陰陽師たちの仕事は実に地味だ。律令制下の役所の一つ・陰陽寮に所属して天文、暦、時刻を司り、また卜筮(ぼくぜい・占い)も担当したが、重要だった“神の祟り”の認定は当時は神祇官の独占だったわけで、今イメージする姿とはかなりの隔たりがある。

 陰陽寮が置かれていたのが陰陽町。住居表示「陰陽町」を目にすると、静かな住宅街が突然違った景色に見えてくる。とはいえ、読みは「おんみょう」ではなく「いんよう」ちょう。平城京を見下ろす高台にあり、通りからは眼下に町並みが見渡せて、とても気持ちがいい。明治の中頃までは、陰陽師の末裔により「南都暦(奈良暦)」が作られていたのだとか。

 その一角に、鎮宅霊符神社がひっそりとたたずんでいる。掲示された説明書によれば祭神は天之御中主神とあるが、続いて書かれるように本来、霊符信仰では北極星の神霊が祀られる。つまり、簡単にいってしまえばここは陰陽道に関わりの深い神社。近くの陰陽寮に詰めていた陰陽師たちが日参する姿をつい想像してしまう。  

 小さな境内は無人で、とてもユニークな姿をした狛犬が出迎えてくれるだけ。本殿の背後には「抱卦童子」「爾卦童郎」ら、いわゆる脇侍も祀られている。

 鎮宅霊符はあらゆる災いを避けると珍重された。今でも近隣の氏神である御霊神社で授与されているので、ご興味のある方はぜひ。

(写真「陰陽町に鎮座する鎮宅霊符神社」)
神社ライター 宮家美樹

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