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愛知県西三河地方の伝説「松村晩翠のアゲヒバリ句碑」

 アゲヒバリの句碑は、愛知県豊田市小坂本町にある七州城趾公園の隅櫓跡の片隅に西向きに建っている。自然石の台座の上に高さ3m、幅75cmの大きさで、上端の尖った花崗岩で作られた句碑である。句碑には達筆な行書体で「声かぎり 翼限りや 揚雀雲 晩翠」という13文字が深彫りされている。

 建立年月日は「昭和7(1932)年秋分の日」と、建立者は「松村甚太郎」と句碑裏面に刻まれている。ちなみに、「揚雀雲(アゲヒバリ)」とは空高く舞い上がって鳴くヒバリのことである。一般的に、ヒバリという漢字は「雲雀」と書くが、句碑のように「雀雲」と書かれる場合もある。

 句の作者である松村晩翠(1871〜1932)は本名を松村台太郎といい、明治時代末期から大正時代に活躍した地元の俳人である。挙母(ころも)藩士・松村観光の婿養子で、東京の月州庵知雪に俳諧を学んだ。やがて、愛知県西三河地方における俳句研究の中心的存在となっていた。晩年の晩翠の容姿は白髪面長の老人であったという。晩翠は蒙刻の技術に優れており、現在の豊田市竹生町辺りで、「一心堂」という屋号で、客の求めに応じて印判を彫刻して生計を立てていた。地元俳句愛好者達は晩翠宅を溜まり場にして活動していたといわれている。

 当初、アゲヒバリ句碑は、現在の産業文化センターが建っている豊田市小阪本町1丁目付近にあった。その後、愛知県立豊田東高等学校の校庭に移され、昭和53(1978)年の七州城再建に伴い、現在の七州城趾公園に移転された。

 アゲヒバリ句碑が建っている場所は、挙母まつりでの神輿巡業の休息所「お旅所」があり、ここで祝詞が奉上されている。
(皆月斜 山口敏太郎事務所)

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