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【帰ってきたアイドル親衛隊】「チャウ〜!」の呼びかけに笑顔でこたえたルー・フィン・チャウ

 1970年代から80年代前半にかけて放送されていた『スター誕生!』(日本テレビ系)から多くの歌手が輩出された。その中でもちょっと変わった存在の女の子が出場した。その子は16歳のベトナム人でルー・フィン・チャウという。片言の日本語しか話せない少女だったが、歌唱力は抜群で日本語の歌詞もしっかりしていて、何とグランドチャンピオンになり、歌手デビューを果たすことになった。

 1982年12月に『スター誕生』でデビューをするのだが、当時は外国人に違和感を覚える人も多かった時代でもあったが、私はルー・フィン・チャウに真っ先に飛びついた口である。というのも自分が小学6年生の時に担任から「お前はベトナムの敗残兵みたいだな」と言われたことがあり、その言葉がずっと頭に残っていたことからルー・フィン・チャウの国籍がわかった時に親近感が沸いてきたと言える。しかし小学6年生の子供に先生がこんなことを言うとか今では考えられないことだが、私は当時から外人顔だったので、この言葉を誉め言葉として受け止めていた。

 そんなルー・フィン・チャウと初めて会ったのはデビュー間もない83年1月である。月曜日から金曜日の夕方に放送されていた『アップルシティ500』(TBS系)という番組にゲスト出演していた時で、この日のゲストは伊藤つかさ、早見優、本田泰章で、私の主目的は早見優だったが、番組に登場したルー・フィン・チャウのインパクトは絶大だった。そこでデビュー曲の『スター誕生』を歌うのだが、苦手な日本語のトークとは違い、歌ではしっかりと日本語の歌詞で抜群の歌唱力で、圧倒するステージを観せてくれた。曲の最後にとっさに名前をコールをしたのだが、何て言っていいかわからず「チャウ〜!」と叫んでみた。そんな良くわからない私のコールに反応してくれて笑顔を見せてくれた。翌月2月にファーストコンサートが行われるのだが、この日は何か覚えていないが、行く予定を立てずに他の現場へ行ってしまった。また次回という考えだったが、何とこのファーストコンサートが最初で最後になってしまった。

 デビュー曲の『スター誕生』がそこそこヒットはしたものの、その後に『愛をとどけて』・『北物語』とレコードを発売したのだが、売り上げ的にもかなり厳しくて、シングル3枚出したところで、芸能界を引退してしまい、約1年の活動で芸能界から去ってしまった。結局のところ私は1回しか会うことが無いままになってしまった。

 そんなルー・フィン・チャウだが、引退してからはしばらく日本に住んでいたそうだが、その後はアメリカに渡ったとウワサされた。現在の消息はわからないままだが、ロサンゼルスあたりのバーなどで歌っているという未確認ながらの情報がある。おそらく今後会えることが無さそうだが、昨年6月に全発売音源ベストCD『スター誕生+2コンプリート・コレクション』にルー・フィン・チャウの楽曲が収録されているので、クリアになった音源を聞くことができる。

 子供心にベトナム人のアイドル歌手というのはインパクトが強かったことで、今でもベトナムには関心を持っていて、かつてアイドルグループ・アイドリング!!!がデビューした時に、ベトナム出身のフォンチーという子がいたので、とても気になる存在になっていた。アイドリング!!!は80年代のアイドルのカバー曲を番組やライブなどで歌うことが多かったので、いつかはフォンチーがルー・フィン・チャウの『スター誕生』を歌ってくれるのではと期待をしていたが、その夢は叶わなかった。もちろん本人の歌を見聞きしたいのが本音だが、現実的に難しいことだと思うので、もし可能なら現在のアイドルにカバーでルー・フィン・チャウの曲を歌ってもらいたい。そんな私の密かな夢を叶えてくれるアイドルはいるのだろうか?

【ブレーメン大島】小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしての顔を持つことから、全国を飛び回る生活を送っている。最近、気になるアイドルはNMB48の三田麻央。

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