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奈良の神社話その二十 神域に“埋められた”神宝の正体──十津川村・玉置(たまき)神社

 熊野三山の奥宮ともされ、大峰修験道の本拠として栄えた玉置神社。巨樹を従えてたたずむ神仏混淆のこの古社には、神宝にまつわる不思議な伝説が息づく。

 大峰山脈の最南端、標高1076メートルの玉置山は熊野から大峰山を経て吉野へ至る順峰、吉野から熊野への逆峰双方向の拠点。古来、修験者の往来が絶えない霊峰であるゆえにアクセスは不便だ。十津川温泉バス停からタクシーで約30分、下車して20分程山道を歩いてようやく参拝となる。容易でない道程こそが、大いなる自然が今に守られ続けてきた理由といえるだろう。

 社伝によれば、八咫烏(やたがらす)に先導された神武天皇はこの山で兵を休め、神宝を鎮めたという。創祀は崇神天皇の御代、一説に早玉神が祀られたことに始まると伝わる。
 祭神は『日本書紀』に最初に登場する国常立尊(くにとこたちのみこと)他四座とされ、そこに早玉神の名はない。だが、大峰奥駆の修験者たちがまずお参りするという末社の玉石社が、古き伝えを彷彿とさせる。同社には社殿や祠はなく、地上に露出した“玉”のごとき丸石を祀るのだ。

 玉石社のご神体の下には、役行者が竜の脳天から出た宝珠を、また弘法大師が自分の宝珠を埋めたなどの俗説が語られる。さらに玉置神社本殿の地下には、物部氏が奉祭した神宝・十種の神宝(とくさのかんだから)が埋まるという話も残るそうだ。宮司以外は何人も見ることが叶わないとされ、埋納された由来などもまったくの不明だ。

 立ちこめる神の気のあまりの強さに、人々は地中に眠る強大な力を夢想したのかもしれない。果たして玉置山には何が埋まっているのか。
 大いなる謎はこれからも霊峰にて輝き続けるに違いない。

※写真「堅牢な土台の上に建つ本殿」

(宮家美樹)

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