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「時代」を彩った男と女・あの人は今 元女子陸上選手・金沢イボンヌさん

 2000年7月10日、女子100メートルハードル競走で、13秒00という日本記録が生まれた。そして、今でもその記録は破られていない。その日本記録を樹立したのが金沢イボンヌであった。イボンヌは96年アトランタと00年シドニー五輪に出場、100メートルハードルの記録はそれぞれ13秒30、13秒16だった。

 イボンヌは、74年11月19日東京に生まれた。母親は日本人、父親はジャマイカ系米国人。2歳の時、米国に移住、カルフォルニアのサクラメントで母親の手一つで育てられた。高校に入学するまでは体操をしていたイボンヌだったが、高校に入ってから陸上競技を始めた。コロラド大学に入った92年から陸上部に所属するが、本来の力を出せぬままでいた。だが、大学3年生の時、100メートルハードルで13秒5を記録してからは陸上競技に傾倒していった。この時のコーチをしていたのが、日本の400メートルハードルの第一人者だった山崎一孝(現・福岡大学陸上部コーチ)であったことから、日本の陸上界にデビューすることになった。

 しかし、日本の陸上界にイボンヌを受け入れる所属チームはなかった。結果的に、佐田建設がイボンヌのために陸上部を創設し競技ができる環境を整えた。
 95年、イボンヌは東京陸協に登録、日本選手権に出場するが、それまでには数多くのエピソードがある。東京陸協に登録したことで日本陸連事務局は「米国人だ。パスポートを提出させろ」とまで言ってきた。
 その理由はイボンヌが英語しか話せないし、それにジャマイカ系の肌の色などから、大いに物議をかもしたものだった。もっともイボンヌの記録を日本の記録にすることも多くの関係者が問題視したが、陸連の法制委員会がよく調べた結果、代表選手になれる資格があることもわかり、日本選手権で優勝、代表選手として国際大会にも出場した。現在、米国のラスベガス大学の陸上部監督だが、日本国籍の監督は米国では初めてである。

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