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【帰ってきたアイドル親衛隊】さだまさしのバイオリン弾き語りは私にとって初の衝撃だった

 1970年代はアイドルというよりフォークソングなどが主流の時代であり、多くのシンガーソングライターが活躍した時代である。その頃の私は、まだ幼すぎたこともあり、フォークソング以前にアイドルにすら興味がなかった。今回は、その時代にグレープとしてデビューしたさだまさしに注目したいと思う。グレープといえば『精霊流し』のヒットで知られているのだが、残念ながら私はリアルタイムで聞いていなかったこともあり、その良さはすぐには理解することができなかった。

 そのさだをしっかり見るキッカケとなったのは、79年に発売されたシングル『天までとどけ』を知った時である。この曲が『ザ・ベストテン』(TBS系)の今週のスポットライトというコーナーで紹介されたのだが、ここでバイオリンを弾きながら歌うさだを見て、かなり衝撃を受けた。これまでギターの弾き語りは良く見かけたが、バイオリンの弾き語りは私にとって初めてだったこともあり、さだに対しての印象は強烈だったと言える。

 強い印象を受けたことで、さだがシングルを発売するたびに、レコードを必ず買っていた。さだの歴史を語るうえで欠かせない曲として、個人的に『親父の一番長い日』がある。この曲は前作の『関白宣言』の続編という括りであり、しかも当時としては珍しい12インチシングル盤だった。さらに楽曲の演奏時間が12分30秒という、これまでに無い長さの曲だったことで、注目度も抜群だった。

 テレビを見て気になる存在になったさだだが、この頃は『ザ・ベストテン』の出待ちをしていたので、いつかさだに会える日が来ると思い心待ちにしていた。しかし、さだがどこから出て行っているのかわからなくて、一向に会える気配も無かった。結局『ザ・ベストテン』の出待ちでは、さだとは会うことができなかった。

 それから数年が経った頃に別の出待ちでTBSにいたところ、何とさだが正面玄関から出て来るのではないか。想定外の遭遇で私は完全にテンパってしまい、カバンの中に入れていたカメラがなかなか出せないくらい慌ててしまった。そこでさだが私に「ゆっくりでいいんだよ」と声を掛けてくれた。ようやく平常心になり、さだに写真を撮らせてもらった。初対面の高校生に気を使ってもらって申し訳ない気持ちでイッパイだったが、ようやくさだと会えた喜びが、ヒシヒシと湧いてきて、終始笑顔でさだと話ができた。

 その頃にはドラマ『北の国から』(フジテレビ系)が人気であり、主題歌を歌うさだの曲も人気が高かったこともあり、当時は口ずさむ人も多くいた。私もそのうちのひとりであるが、19歳の時に北海道旅行で富良野に行くことになったのだが、ロケ地でもある富良野の黒板家の前に行って、そこで田中邦衛のモノマネをしながら、主題歌の『北の国から〜遥かなる大地より〜』を大音量で流してドラマのワンシーンをやってしまった。これもさだの音楽があってこそなので、自己満足にすぎないが、私にとって青春の1ページのひとつとしてカウントされている。

 それからさだと会う機会は全くなかったが、かつて原宿に『A・WEEK(ア・ウィーク)』というさだのお店があり、別に用事が無いのに、原宿へ行くと必ず寄っていた。私はさだの熱狂的ファンでは無かったが、なぜかそのお店に引き寄せられていた。

 さだに対しての思い出はたくさんあるが、未だにさだのコンサートを観たことが無い。さだのコンサートいえば、本編の半分以上がトークであり、芸人以上の面白さがあり、CDなどでは伝わらない楽しさがあるみたいなので、いつかは観に行きたいと思っている。しかしコンサートのチケットは人気も高く入手困難のようなので、発売の時には必死に頑張ってみたいと思う。

(ブレーメン大島=毎週土曜日に掲載)

【ブレーメン大島】小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしての顔を持つことから、全国を飛び回る生活を送っている。最近、気になるアイドルはNMB48の三田麻央。

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