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末広町駅前看板に記されたズッコケ必至の地名由来

 東京メトロ銀座線末広町駅のある千代田区外神田3丁目には、町名由来板が立つ。蔵前橋通りと中央通りが交差するそば。うんちくだけでなく、安政3(1856)年と現在の町内地図が比較掲示され、なかなか興味深い。さて、この界隈はなぜ末広町と呼ばれるようになったのか?

 由来板の解説によると、江戸幕府が崩壊したそのとき、武家の屋敷地と商人や職人の居住地が隣り合ったこの一帯は戦火にさらされた。明治元(1868)年、江戸無血開城を不服として上野・寛永寺にたてこもった旧幕府軍と、新政府軍が激突した上野戦争に巻き込まれたのである。
 15万石を誇る豊前小倉藩(福岡)の小笠原左京大夫忠微を筆頭に、現在でいう新潟、千葉、栃木、兵庫、長野の武家藩主らが住んでいた。
 上野戦争は、市街戦の様相を呈しつつもわずか半日で新政府軍の勝利に終わった。それでも戦火は熾烈をきわめ、家族や屋敷を失った町民も少なくなかったという。そこで、町名由来板はこう結んでいる。
 「末広町というおめでたい名前には、『これからは末広がりで町が平和に繁栄しますように』という町民の切実な祈りが込められていたのかもしれません」
 えーっ!と驚いた。ここまで説明しておいて、「かも」っていう結論はないだろう。推測の域を出ないわけだから、町名由来とは言い切れないではないか。まっ、そんなに目くじら立てるものでもないけれど。

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