野々村議員は大阪の名門・北野高校を卒業後、関西大学法学部に進学。高校時代から、その変わりっぷりは際立っていたという。
「常に“自分が一番”という自信家。当時は分厚いメガネをかけた秀才肌で大人しそうに見えますけど、ほんまはキレやすい。自分に自信があるから女の子に告白はするけど、そんな調子やから実は避けられていたというパターンがほとんどでした。最近は猛烈な結婚願望がある彼に対し、最初はいい人かと思って好意を寄せてた女性もいたようですが、結局、真の姿を見てドン引きされていたようです」(議員を知る県庁職員)
大学を卒業後、'92年から兵庫県川西市職員となったが、ここでも周囲からは避けられるキャラクターだったようだ。
「自分の気に入らないことがあると、屁理屈を並べて相手を大きな声でやっつける。今回の記者会見でも見せたように、最初は冷静に、次は脅して泣き叫び、最後に謝るというパターン。当然ながら周囲の職員とうまくいかず、部署を転々としていましたよ」(市関係者)
そんな中、'07年に役所を退職。同県太子町長選を皮切りに4回の選挙に挑戦したが、いずれも落選。5回目となった2011年の兵庫県議会選挙でようやく悲願の議員バッジを手に入れた。
「とにかく彼は、自分をアピールするためなら何をしでかすかわからない。西宮市長選挙の時も、女性には土下座するくせに男性には上から目線。県会議員選挙の際も、選挙期間中は『大阪維新の会』の人気に便乗して『西宮維新の会』を名乗り、当選するや自民党に接近して断られていますからね」(元県議会議員)
議員になった年からは、ツイッターで自身の婚活の実況中継までしていた野々村議員。“日帰り出張費195回分”が婚活に使われていたとすれば、シャレにもならない。