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遠い記憶 羽田競馬場の歴史(1)

 現在、東京国際空港(羽田空港)となっている場所が、昭和の初めごろに、競馬場として使われていたことをご存知であろうか。
 東京において、最初の地方競馬は羽田で行われた。羽田競馬は愛馬組合、荏原郡馬匹組合が主催の下、1927(昭和2)年、7月15日から4日間、蒲田区羽田町入船耕地(現在の大田区東糀谷・羽田中学校のあたり)に約6万坪(約20万平方メートル)の土地を借り受け開催された。

 しかし、京浜電気電鉄が穴守線(現在の京浜急行・空港線)に臨時停車場を設けることによって、“入船耕地の競馬場”は開設後、約1年半で閉場に追い込まれる。羽田競馬場はその後、近隣に場所を移すわけだが、羽田の競馬史には公式な記録が記されていないものもあり、旧穴守稲荷神社(現在の羽田空港の敷地内)北側にも、自転車競走場と合わせ、開設されたことがあるといわれている。
 話は戻り、最初の開催が行われた27年7月からわずか1カ月後の8月、農林、内務両省から地方競馬規則が配布されると、東京府内の馬匹畜産組合9組合が集い、「東京府馬匹畜産組合連合会」を組織し、会長には平家廣義東京府知事が就いた。
 東京府馬匹畜産組合連合会では、新競馬場の建設を計画し、江東洲崎埋立地が建設地に決定した。この江東競馬場は、27(昭和2)年、秋季と翌春季の2回にわたり、城南畜産組合主催の下、開催されたが、収支は大幅な赤字となり、失敗することとなった。
 こうした事情を受け、競馬は再び羽田に戻ることとなり、28(昭和3)年12月に、再度の羽田競馬が開催された。
 ※参考文献=大井競馬の歩み/大田区の近代文化財/写真でみる郷土のうつりかわり

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