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達人政治家の処世の極意 第十六回「大平正芳」

 大言壮語、言い訳はしない。国民も政治に甘い幻想、過大な期待を持たないでほしい。

 政治家という人種は、ある種、夢を振りまく仕事だけに、大なり小なり国民に耳障りのいいことを言う。要するに、できもしないくせにデカイことを言うのである。結果、それが首相なら政権末期には“約束反故”がたたり、支持率がボロボロになって退陣を余儀なくされるという例が少なくない。そうした政治姿勢と対岸を成したのが、この大平正芳元首相であった。表記の言葉は首相就任直後の初の記者会見で述べたもので、政権スタートにして国民にバラ色の期待を与えることをしなかった。その意味では、「異質な首相」ということでもあった。

 大平は旧制高校時代にキリスト教の洗礼を受け、古今東西の哲学、宗教などにも精通した碩学の文人肌の人であった。語り口もタテ板に水とはまったく逆の、ゆっくりした中にしばしば「アー」とか「ウー」の“一言”が入る味わいのあるそれで、寡黙で柔和なたたずまいもあって、その重心の低さも手伝い信頼を集めた。「アーウー首相」「鈍牛宰相」などとも言われた。

 その政治手法はとにかく人気取りとは一線を画し、常に一歩引いて構えた。大蔵省出身の池田勇人が首相に就任したとき、その人柄と人物を評価した同じ大蔵省後輩の大平を首相秘書官に抜擢しようとしたが、大平は三拝九拝「私ではとても務まりません」と固辞、困った池田は「ナニもやらなくていいから、オレのそばに居てくれ」と、それでも強引に秘書官に決めてしまったものだった。

 田中角栄元首相も、大平の人柄と人物を評価した一人であった。人物への信頼感の一方で、気が合ったのである。福田赳夫(のちの首相)と大平が実質的に争った昭和53年暮れの自民党総裁選では、大平勝利のために「アイツは政治家にあらずの宗教家だからオレたちが動くしかない」と「田中軍団」を総動員。結果、大平を首相の座に担ぎ上げた。しかし、その後の昭和54年1月、大平首相は今日の消費税の“原点”である「一般消費税」導入を閣議決定した。これに対して、先の総裁選で敗れた福田赳夫を先頭に三木武夫、中曽根康弘らが反発、自民党内を二分した主流、反主流派の「40日抗争」に発展した。やがて、この自民党内の様相を見た社会党が大平内閣不信任案を提出。自民党内の反主流派がこれに乗って不信任案は可決し、大平は内閣総辞職を選ばず衆院の解散を決定したのだった。このときの大平の言葉が、「オレに辞めろというのは、死ねということか」であった。
 通例、こうした場合、首相の座にある者は強気に前へ出ず、追い詰められた言葉を発することはあり得なかったものである。

 こうして見ると、大平の生き方、政治のトップリーダーとしての姿勢は、常に「歩溜り」を低く設定するというのが分かる。歩溜りとは経済用語で、一般的には使用した原材料の量に対してどれだけ製品を生み出したかの比率を指す。「歩溜りがいい」とは、少ない元手でどれだけ儲けを出したかという効率の良さを言う。大平のそれは、もとより全力で事に当たるのが必ずしも国民皆さんの期待通りの結果が出るとは限りませんよ、という“低めの設定”の歩溜り政治ということだった。

 衆院の解散を選択したその大平は、田中角栄の「絶対勝てる」との進言を受け入れ、折から迫っていた参院選との史上初の「衆参同日(ダブル)選」を断行した。結果、田中の予言通り自民党は衆参ともに圧勝したが、大平はその選挙戦のさなか急性心不全を発して無念の死を遂げたのだった。
 大平内閣の1年半は、内政は政権抗争にもまれ続けたことで準備を重ねた政策はほとんど実行に移せなかったが、外交ではイラク戦争で米国への攻撃説得を試み、国際情勢の行方を綿密に分析した上で国益を模索し続けたという点で、勇気と冷静さに満ちていたと言えた。ちなみに、大平の「アー」「ウー」を抜いてみると、実に理路整然とした論旨になっていたのである。

 大言壮語とは無縁だった大平のリーダーシップは、強い信念の一方で突き詰めて言えば一歩引いた人柄、人から愛された中で発揮された。どんな組織のリーダーでも、こうしたタイプに成功例が少なくないのである。=敬称略=

■大平正芳=第68、69代内閣総理大臣。内閣官房長官(第21、22代)、外務大臣(第92、93、100、101代)、通商産業大臣(第31代)、大蔵大臣(第79、80代)などを歴任。いわゆる「三角大福」のうちの一人。

小林吉弥(こばやしきちや)
 永田町取材歴46年のベテラン政治評論家。この間、佐藤栄作内閣以降の大物議員に多数接触する一方、抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書多数。

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