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「時代」を彩った男と女・あの人は今 元女子新体操選手・山崎浩子さん

 女子新体操で名をはせた山崎浩子は、1960年1月3日生まれの鹿児島県出身。
 3歳から中学校までは種子島で育った。新体操の名門・鹿児島純心女子高(東京・八王子にある東京純心女子高校とは同じ系列高)に入学と同時に新体操を始め、メキメキと頭角を表わし、そのセンスのよさが全国に広まった。

 進学した東京女子体育大学では「新体操の女王」とまでいわれるようになり、79年から83年の5年連続で全日本選手権の個人総合優勝を果たした。この記録は今でも破られていない。
 この偉業によって新体操が新たなスポーツ競技として話題になるきっかけとなって、一気にブームが訪れた。
 84年のロサンゼルス五輪で新体操が初めてオリンピック種目となり、山崎はその代表として出場、個人総合で8位に入賞した。この入賞を機に新体操はブームから不動の人気種目となった。
 山崎の世界選手権での個人成績は、79年のロンドン大会では20位。2年後のミュンヘン大会で12位。そして83年のストラスブール大会では34位と、もはやこれまでかと関係者は山崎の“限界”を感じていた。

 ところが、ロス五輪での8位入賞で見事にカムバックを果たした。だが、その年に山崎は現役を引退。新体操スクールを開設し、タレントとしてもクイズ番組などで活躍した。
 しかし、92年に歌手の桜田淳子やバドミントン選手の徳田敦子らと世界基督教統一神霊協会(統一教会)の合同結婚式に出席することが発覚、世間を驚かせた。しかし、93年4月21日に山崎は記者会見で結婚の解消と統一教会脱会を発表した。その後は、アテネ五輪強化委員会新体操強化副本部長、現在は日本体操協会の理事に就任している。

◎桜田淳子は今も芸能活動休止
 一般的には統一教会といわれる世界基督教統一神霊協会は、その本部を韓国に置き、その地で世界中から集めた男女が見合いを行う合同結婚式と霊感商法で社会的に問題なっている。
 桜田淳子は92年6月に「2カ月後に行われる結婚式に参加します」と記者会見し、芸能界とスポーツ界に衝撃が走った。
 だが、桜田は結婚した夫の地元である福井県敦賀市に移り住み、93年で芸能活動を休止して宗教活動に入った。94年に長男を出産し、96年に長女、98年に二女と3人の子どもに恵まれた。
 00年には兵庫県西宮市に移り住み、04年に東京・世田谷に転居。桜田は統一教会の集会で講演するなどした。06年に14年の沈黙を破ってエッセー集を刊行。07年には女性雑誌のインタビューに応えた。しかし、芸能界への復帰は現在のところ行われていない。

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