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俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈ドン・フライvs高山善廣〉

 日本では一時期ほどの隆盛にないものの、世界的にはUFC(アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ)を筆頭に人気の定着した感のある総合格闘技。
 「競技としての発展も急で、現在活躍するトップファイターは、総合のルールに適合した打撃も寝技も高レベルでこなせる選手ばかり。かつてはレスリングのタックルや、グレイシー柔術の寝技など、それぞれのバックボーンが重視されましたが、今はそれら全てをこなせないと通用しない状況です」(格闘技ライター)

 何でもできるコンプリートファイター同士が競い合う。それは総合格闘技の進化に違いないが、その一方で異種格闘技的色合いの濃い闘い模様を好むファンもきっと少なくないだろう。
 2002年6月23日、さいたまスーパーアリーナで開催された『PRIDE21』。このメーンイベント、ドン・フライvs高山善廣が今なお名勝負の一つに数えられるのは、ファンが高度な技術戦ばかりを好むわけではないということの表れだ。

 レフェリーチェックの間も互いに一切目を離さない激しい睨み合いを続けた両者は、ゴングと同時に突進。互いに相手の頭を押さえると、もう一方の手でひたすら殴り合ってみせた。
 一切ガードなしでぶん殴る、極めて原始的なその戦いぶりは多くの格闘技ファンの心をわしづかみにした。
 「この大会ではエメリヤーエンコ・ヒョードルのPRIDE初参戦が話題となったものの、セミファイナルに組まれたセーム・シュルト戦は判定決着で、ぶっちゃけ退屈な試合に終わりました。そんな鬱屈とした会場の空気を2人は一気に吹き飛ばしたのです」(同)

 ボクシング技術では経験者のフライに一日の長があり、高山の顔面はみるみるうちに変形していく。しかし、高山もやられる一方ではない。コーナーに詰めたところからフロントスープレックスを放つと、起き上がりざまに膝蹴り一閃。フライの額を切り裂いた。その威力からして、もう一歩深く当たっていれば一撃KO勝利もあり得ただろう。
 「当初、高山は得意のヒザをコツコツ当てていく作戦でいたそうです。しかし、同じNOAHからの初参戦で判定負けとなった杉浦貴も含め、すっきりしない試合が続く中“観客を沸かせたい”というプロレスラー魂が騒いだのでは?」(同)

 試合後のインタビューでは「会場の“高山コール”に乗せられた」と語ったが、それだけではないプロとしての計算も、きっとあったに違いない。そして、同じくプロレス経験豊富なフライもこれに呼応したことによって、今も伝説と語り継がれる試合が成立した。
 ちなみに高山は、当初出場を予定していたマーク・コールマンの欠場のため急きょの代役参戦でもあった。
 試合開始から5分が過ぎたころには高山の顔面は完全に崩壊。見かねてドクターチェックが入ったものの、試合に戻ればまたもやノーガードの殴り合いだ。劣勢挽回を期した高山は再度スープレックスを狙うものの、これが崩れてフライが馬乗り。マウントパンチのラッシュでレフェリーストップの決着となった。

 1R6分10秒。その試合時間の大半をハードヒットで殴り合うなどは、ボクシングでもなかなか見られるものではない。
 試合後の腫れ上がった顔面が専門誌などに大きく掲載されたため、高山のやられっぷりばかりが目立ったが、フライも決して無傷ではなかった。帰国後には肩が上がらなくなり、全身の痛みから入院を余儀なくされたという。
 「後にフライはこれを振り返り“バーリ・トゥードにピリオドを打つのにふさわしい試合だった”と語っています」(同)
 現実には、その後もフライは総合格闘技を続け、PRIDEでの吉田秀彦戦やHERO'Sでの曙戦などを行っている。それでいて高山戦を“ラストファイト”というのは、当人にとってもそれほどまでに強烈なインパクトを残したということか。

 一方の高山は、'02年大みそかの格闘技興行合戦の際、なかなか選手のそろわなかった『イノキボンバイエ』への出場が最後の総合参戦となった。しかし、ボブ・サップを相手に打撃ではなく、腕ひしぎ十字固めで完敗を喫する。
 高山も、あるいはフライ戦で既に総合格闘家としては燃え尽きていたのかもしれない。

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