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細川家の財宝紙上大公開

 いま政界を代表する名家といえば鳩山家と麻生家だが、その両家に引けを取らない名門一族が細川護熙元首相を輩出した細川家だ。鎌倉時代から700年余り続く家柄。そんな華麗なる一族の家に眠るお宝が来年、特別展として大公開される。豪華絢爛(けんらん)なお宝の数々を本紙紙上で先行大公開。とくとご覧あれ。

 細川家の歴史は鎌倉幕府の御家人時代にまでさかのぼる。幾多の戦乱の世を乗り越え、近代では肥後熊本の大大名として君臨し、その名を今日にも残す。
 その700年余りの歴史の中で、細川家は数々の国宝級のお宝“細川コレクション”を所有してきた。歴代の中でも特に芸術品に目があったのが第16代当主の細川護立。志賀直哉や武者小路実篤ら芸術家たちのパトロンでもあった護立は、1950年に細川家伝来の文化財を後世に伝えるため、永青文庫(東京・文京区)を設立。「単なるお金持ちではなく、近現代を代表する美術パトロンだった」(永青文庫・竹内順一館長)と称されるほど、お宝ハンターぶりは有名だった。
 そんな永青文庫を中心に細川家にザックザックと眠る約280点のお宝がこのたび、東京国立博物館の特別展としてお目見えすることとなった。

 激動の乱世を生き抜いた細川家のお宝は、武家時代の物が多い。
 関ヶ原の戦いでは東軍についた細川家。細川幽斎は敵将・石田三成に囲まれるも少ない人数で3カ月間逃げ続ける。幽斎は古今伝授を伝える数少ない人物だったため、後陽成天皇から異例の勅命が下り、講和が成立して命を取りとめた。その労を謝して、幽斎から勅使に贈られたと伝えられるのが「太刀 銘『豊後国行平』」(国宝)だ。
 幽斎の子息・忠興が関ヶ原の戦いで着用した甲冑(かっちゅう)も存在する。「黒糸威横矧二枚胴具足」は、頭上から伸びるほうきを逆さにしたようなシルエットが強烈。山鳥の尾を束ねて作った“とさか”で細川家は黒田長政隊らとともに三成の軍に突っ込んだ。
 近代に入り、お宝マニアの細川護立が収集したコレクションも一見の価値ありだ。
 氏の芸術品への審美眼を如実に物語るのが「金銀錯狩猟文鏡」(国宝)だ。中国から出土した紀元前4―3世紀ごろのものと言われる古鏡。金銀を溝にはめ込む象眼技法によって虎狩りのシーンを描いたその鏡は、それまでまったく類似品のないものだった。しかし、護立は一目見てその価値を見いだし、古鏡に詳しくなかったにもかかわらず即断即決で購入。その一品がのちに国宝に認定されるに至ったのだからあっぱれだ。
 展示に先立ち、第18代当主の細川護熙氏が細川家の重みを語った。
 「細川家には美術品以外にも膨大な記録が残っています。古文書だけで約15万枚。その10分の1もまだ読まれていません。たとえば3代・忠利の時に巌流島の決闘がありました。細川家は元来記録を大切にする家。そこに書かれている記録によれば小次郎は死んでいなかった。木刀でたたかれて気絶しただけ。そこに遅れて家来がやって来て小次郎が起き上がろうとしたので『とどめを刺してしまおう』と…。また、細川家の記録によれば、有名な赤穂浪士の討ち入りの日は雪ではなく、曇りになっているんです。こんな話がまだまだたくさんあります。司馬遼太郎さんがよくうちの蔵に見にきては『これはどこで切っても細川家は大河ドラマになる』とおっしゃっていましたよ(笑)」
 珠玉の“細川コレクション”は来年4月20日から東京国立博物館の平成館で公開される。

◎開催情報
 特別展「細川家の至宝 珠玉の永青文庫コレクション」 場所=東京国立博物館平成館。展示期間=2010年4月20日から6月6日。チケット=一般1500円、学生・団体割引あり。

<プロフィール>
 細川護熙(ほそかわ・もりひろ) 1938年1月14日生まれ。肥後細川家第18代当主。朝日新聞社記者から熊本県知事、内閣総理大臣などを歴任。1993年、非自民連立政権の首班となり、鳩山政権より16年早く“一時的な”政権交代を実現させた。
 細川護立(ほそかわ・もりたつ) 1883年10月21日生まれ、1970年11月18日没。肥後細川家第16代当主。近代日本を代表する生粋の美術品コレクター。数々の芸術家たちのパトロンとしても知られた。

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