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自殺怪情報 藤圭子の同居人に流されたヤクザ人脈の真相(2)

 そもそも藤はこれまでも十分、波乱に満ちた人生を送ってきた。

 1969年のデビュー曲『新宿の女』は全共闘世代の若者たちの共感を呼び、翌年にリリースした『圭子の夢は夜ひらく』も大ヒット。その年の賞を総ナメにするのだが、翌年の'71年には内山田洋とクールファイブのボーカルだった前川清と“電撃結婚”して世間をアッと驚かせている。
 「ところが、結婚からわずか1年たらずで離婚してしまいます。藤さんの身体がまだ大人になりきっていなかったため、夫婦生活が成立しなかったといわれています。おまけに藤は覚えたマージャンに入れ込んでいたとも。とにかく夫婦生活どころではなかったようです」(前出・女性誌記者)

 藤の奇行はこれだけでは終わらない。'79年に突然引退を発表して渡米。その2年後にはまたもや突然、帰国して、再び歌手として復帰することになる。
 「この時に歌手復帰したのはお金が尽きたためのようですが、藤の行動はいつも衝動的で行き当たりばったり。周囲はついていけないから、どんどん人も離れていった」(元マネジャー)

 復帰した翌年には、アメリカ時代に知り合った、当時はルポライターをしていた宇多田照實氏と再婚し、2人の間に長女・ヒカルが誕生している。
 若く、人気絶頂時での電撃結婚は娘のヒカルも同じ道を選んでおり、皮肉にも早い時期の離婚まで一緒である。藤の人生は娘のヒカルにも大きな影響を与えたことは間違いなさそうだ。

 その後もエキセントリックな藤の人生は迷走を続けることになる。
 「藤の性格が災いしてか照實氏とは離婚、再婚を6回繰り返して、結局'07年に完全に離婚しています。藤はこの時に莫大な財産分与を受けたといわれている。藤は'06年に不当に大金を持ち込もうとしたカドで、ケネディ国際空港で42万ドルを没収されるという事件を起こしているんですが、この金は“ヒカルマネー”のごく一部で、ラスベガスのカジノで博打をやるための金だったようです」(前出・夕刊紙記者)

 没収された42万ドルは'09年に返却されているのだが、実はこの頃から藤の消息は不明になってしまう。そして、死後の報道を総合する限り、その後の人生も安定とは程遠いものだったようだ。
 「海外でカジノ三昧とも報じられましたが、離婚直後には帰国して東京・恵比寿のホテルに住んでいたそうです。この頃からは照實氏だけでなく娘のヒカルとも没交渉になってしまった。しかも、酒の飲みすぎや、アメリカ時代のドラッグの後遺症などもあって、一時は千葉県の療養施設に入っていた時期もあったとか。同居していたという男性も男女の関係ではなく、藤を心配した照實氏が身の回りの世話をするために付けたマネジャーのような人だったようです。そんな生活の中で心を許せる身内もおらず、孤独で精神的にも不安定になっていったようですね」(女性誌記者)

 それにしても、藤はなぜこのタイミングで自らの人生にピリオドを打ったのか。一説にはうつ病による衝動的な自殺ともいわれているが、音楽関係者の間では「あるタイミング」が引き金を引いてしまったのではないかと囁かれている。
 「今回の自殺は、藤圭子の名付け親でもある作曲家・石坂まさを氏に対する抗議の自殺だったんじゃないかといわれています。2人は、ちょうど藤がヒカルを生んだ頃に金銭トラブルから絶縁状態になっており、その後も、藤が旧知の音楽関係者たちに電話しては『なんで私を芸能界に入れたの?』と石坂さんのことを非難することもあったらしい。石坂さんは今年3月に亡くなっているんですが、藤は恩師の葬儀にも顔を出していません。石坂さんの遺族も『弟子の中で藤さんだけが連絡が取れなかった』と話していましたからね。そして、実は藤が自殺した翌日には、亡くなった石坂さんを偲ぶ会が予定されていたんです」(レコード会社関係者)

 確執があった恩師を偲ぶ会の前日、しかも芸能界にデビューした曲『新宿の女』に歌われた場所で、まさに“怨歌的”に人生を終わらせた藤。ミステリアスな一生だった。

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