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「時代」を彩った男と女・あの人は今 元女子フィギュア選手・渡部絵美さん

 伊藤みどりの前世代で活躍した女子フィギュアの渡部絵美(本名・渡部キャスリン絵美)は、1959年8月27日に日本人の父親・純一さんと、フィリピン人の母親・リディアさんとの間に生まれた。

 両親は、父親が太平洋戦争でフィリピンに出征した際に母親と出会い、その後結婚して来日した。敬けんなカトリック信徒である母親の影響で一家はそろってクリスチャン。05年7月、85歳の父親が心不全のためフィリピンで他界した。
 渡部は2歳でスケートを始め、10歳の時に米国へスケート留学。そこで、36年の冬季五輪で銅メダルを獲得したフェリックス・カスパーの指導を受けて才能を開花させた。
 72年に12歳で競技会にデビュー。その年の全日本フィギュアジュニア選手権で初出場、初優勝した。その後の72年から79年までの全日本フィギュア選手権で8連覇を成し遂げた。この記録は、その後、伊藤みどりも同じ8連覇を成し遂げているが、ともに現在に至るまでこの記録は破られてはいない。
 76年のインスブルック冬季五輪に16歳で出場、13位に終わった。翌77年の東京での世界フィギュア選手権では12位だった。

 だが、スケーティングの基礎技術の正確さとジャンプの安定性が国際スケート連盟(ISU)役員の目に止まり、しばらくはISUのマニュアルに渡部の2回転アクセルが手本として示されていた。
 79年の世界フィギュア選手権で日本人女性では史上初となる銅メダルを獲得した。翌80年のレークプラシッド五輪ではメダルが期待されたが、6位入賞に留まった。そして同年の世界選手権で4位に入り、その3カ月後の6月に現役引退を表明した。
 引退後はタレントとプロスケーターに転向、01年の参議院選の比例区に自由連合から出馬したが落選した。

◎ライバルは天才少女・伊藤みどり
 渡部絵美と比較されるのが天才少女といわれた伊藤みどり。一番印象に残っているのは、92年のアルベールビル冬季五輪のフィギュア女子シングルで銀メダルを獲得したことだろう。
 89年の世界選手権で優勝、「ジャンプの伊藤」として世界的に有名になった。そして渡部と同じ全日本選手権の8連覇を成し遂げた。04年3月、数々の輝かしい実績を持って日本人初の世界フィギュアスケート殿堂入りを果たした。
 伊藤は4、5歳の頃にスケートを始め、6歳から本格的な競技に参加、「天才少女スケーター」と呼ばれるようになった。14歳になった84年、サラエボ五輪への参加を狙った日本スケート連盟は、伊藤のために世界ジュニア選手権などを開催したが、最終的には実現しなかった。
 現役引退後は、グランプリシリーズの解説やインストラクター、アドバイザーなどをこなしている。私生活では04年に元劇団四季の俳優と結婚したが、06年に離婚。09年9月に一般男性と再婚した。

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