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「時代」を彩った男と女・あの人は今 元世界S・フェザー級王者 沼田義明さん

 沼田義明氏(64)のボクシング人生のハイライトは、やはり1970年9月27日に行われたラウル・ロハス(米国)との2度目の防衛戦であろう。ロハスはギャングとして少年時代を過ごしていたが、ボクサーとしては当時下り坂。

 4R、沼田氏はロープ際でロハスのボディーブローを浴びてダウン。ここからボクシング史上に残る、何度打たれてもそれに耐え、ついには「奇跡の大逆転KO勝ち」を果たすという“沼田伝説”が始まった。
 沼田氏は62年にプロデビュー。それからは、東洋のタイトルを獲得するなど順調な「陽の当たる」ボクシングをしてきた。67年6月15日、WBA・WBC統一の世界ジュニア・ライト級(現スーパーフェザー級)王座に初挑戦。前年に東洋王座を奪ったガブリエル・フラッシュ・エロルデ(フィリピン)を判定で下し世界チャンピオンの座に就いた。
 だが、同年の12月14日、小林弘との史上初の日本人同士の世界タイトル戦は、日本ボクシング界を巻き込んだ大試合となったが、12Rに小林の右クロスパンチを受けた沼田氏がKO負け、王座を明け渡した。
 引退は72年3月2日、ノンタイトル戦ながら岩田健二に3RでKO負けしたのが引き金となった。最終戦績は55戦44勝(12KO)8敗3分。
 引退後は、一時、テレビ朝日のボクシング解説者を務めていた沼田氏は、ボクシングの楽しさを茶の間に伝えることを心がけていた。だが、テレビでのボクシング中継が少なくなったことから、自分自身のジム「沼田ボクシングジム」を開設した。
 そこで沼田氏は会長としてボクシングを健康や美容に役立つようにと、一般の人たちに広め、その普及に努めている。それとともに、後進の若手ボクサーの指導にも精を出している。

◎慕われる人柄に正確なテクニック
 西武池袋線の清瀬駅で、駅員に聞いても「ほんの歩いて2、3分ですよ」と言われるほど、かつてボクシングの世界チャンピオンだった沼田氏のジムはすぐにわかる。
 現役時代から多くのファンを魅了したそのテクニックもさることながら、地元の人たちとの交流も深めている。
 人付き合いの良さは、北海道日高町の沼田氏の実家が「沼田旅館」という家業の血が自身に流れているからだろう。
 沼田氏がボクシングを始めたきっかけは、61年、ボクシングが最盛期の頃、TBSと極東プロモーションが企画した「ボクシング教室」の門下生となり、そこでグローブを着けたことから始まる。
 以来、正統なボクサータイプを貫き、その正確なテクニックから“精密機械”と称された。
 現在、ジムにはランキングボクサーが8人在籍している。そして将来、ボクサーになりたいという練習生が100人はいるそうだ。

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