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経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(63)

 早川金属工業研究所は順調に発展していた。東京時代とは比較にもならなかった。徳次は、早く新事業を開拓したいと考え、日夜、心を砕いていた。そんな中でラジオ事業は徳次の関心を引いた。
 当時、外国ではすでにラジオは実用化され、報道や娯楽において重要な地位を築いていた。
 世界で初めてラジオ局が開局したアメリカに遅れること5年、日本にもラジオ放送局が大正14(1925)年3月に開設されるという新聞発表があった。このニュースは各方面に大きな関心と期待をもって迎えられ、電気器具商や輸入商の中にはラジオ機械の研究を始めようとするところもあった。
 しかし、内部構造や性能について日本には情報がなく、実物のラジオが輸入されるのを待つしかない状況だった。
 “常に他より一歩先に新境地を拓かなければ事業の成功はない”というのが信条の徳次が、新しいラジオ機械に深い関心を持ったのは当然だった。そんなある日、たまたま石原時計店に顔を出すと、アメリカから鉱石ラジオ2台が着荷したところだった。日本への輸入第一号である。

 徳次は即座に1台を7円50銭で購入して帰り、研究を開始する。予備知識など誰も持っていない。最初は、とにかく音を聞いてみるところから始めた。放送はまだ開始されていないので、工場にモールスの手動信号機を置き、ツーツーという試音を送って、それを受信したラジオの音を確認する。
 レシーバーを耳に付けて一心にモールスからの試音を聞こうとする従業員。「ああ、聞こえた!」。すると他の者が「どれ」とレシーバーを受け取って耳に当てる。「本当だ!聞こえる!」。この状態から始めたのだ。万年筆付属品、岡田教授の歯科治療材料、それに石原時計店から時計部品の発注もどんどんきて、金属工業の事業も順調に回っていたので、寸暇を割いての研究だった。
 年が改まり大正14(1925)年になった年明けから、鉱石ラジオの分解研究は続けられていた。徳次達は模様付けや鍍金(めっき)その他、金属細工には絶対の自信があった。

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