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プロレス解体新書 ROUND66 〈最強外国人の肉弾バトル〉 不沈艦ハンセンvs大巨人アンドレ

 1981年に行われたスタン・ハンセンvsアンドレ・ザ・ジャイアントの一戦は、今なお「日本で行われた外国人対決の最高峰」と称賛する声が絶えない。世界の大巨人として絶頂期にあったアンドレと互角に闘うハンセンに、田園コロシアムに詰めかけたファンは熱い声援を送った。

 来日した歴代外国人レスラーの中でもトップクラスの人気を誇るスタン・ハンセンに対して、「アメリカでは二流の実績しかない」と思い込んでいるファンは案外多いようだ。では、実際はどうだったのか。
 「1985年にAWA世界ヘビー級王座、1990年にWCWでUSヘビー級王座など、アメリカでも主要タイトルを獲得しており、決して二流ということではありません」(プロレスライター)

 AWAについてはハンセンの戴冠時、すでに世界三大タイトルに数えられた権威はなく、直前にジャンボ鶴田が獲得したのと同様に、ジャイアント馬場の政治力の賜物といわれたりもする。
 しかし、鶴田と違ってハンセンは、アメリカでのビッグマッチでリック・マーテルから王座を奪取しており、また、王者としてもやはりビッグマッチの看板カードの一つとして、元王者のニック・ボックウィンクルと防衛戦を行っている。
 さらにはWCWでも、トップの一角にあったレックス・ルガーと抗争を繰り広げるなど、それなりに高評価を得ていたことがうかがえる。
 「2016年にはWWEの殿堂入りを果たし、単に“ブルーノ・サンマルチノを壊した下手くそ”ということであれば、いくら日本での活躍含みだとしてもそんな評価を得られるはずがありません」(同)

 サンマルチノのWWWF王座に挑戦した際の首折り事件が、必殺ウエスタンラリアットによるものではなくボディスラム(あるいはショルダーバスター)の失敗だということは、すでに広く知られている。
 だが、それをもって“技もロクに仕掛けられないポンコツ”と見られていたならば、のちにボブ・バックランドの王座に3カ月連続で挑戦する機会は与えられなかっただろう。
 「先に日本で大成功して中心選手となったため、アメリカに定着する機会がなかったというのが実際のところ。特に全日本プロレス時代は、それまで主役を張っていたザ・ファンクスやアブドーラ・ザ・ブッチャー、馬場らが衰え、さらにはブルーザー・ブロディが亡くなり、ハンセン抜きでは興行が成立しないというぐらいでしたからね。当時は日本勢も、長州力ら維新軍の離脱、天龍源一郎のSWS移籍、鶴田の病気によるセミリタイアと続いたことで、ハンセンはフル参戦状態となりました」(同)

 日本での試合が多くなればアメリカで同一テリトリーに定着することもできず、そのため長期のアングルもつくれない。それゆえゲスト扱いに留まらざるを得なかったということで、決してハンセン自体が低評価だったわけではない。
 それどころかハンセンは、絶大なる高評価を得ていたとの声もある。
 「ハンセンがラリアットを使うようになって、多くのレスラーがこれを真似た一事を見ても、評価が低かったはずがない。とりわけ、アンドレ・ザ・ジャイアントなどは、相当にハンセンのことを認めていたと思われます」(専門誌記者)

 その証拠と言えそうなのが、今なお“歴代外国人対決ベストバウト”と称される1981年9月23日、田園コロシアムでの一戦だ。
 先にリングに上がったハンセンが突っかけたところを、アンドレがビッグブーツで迎撃して始まったこの試合。
 「アンドレは序盤から、ハンセンの“左腕殺し”というセオリー通りの攻めを見せていて、これはもちろん、ハンセンのラリアットを警戒していることを表現したもの。そうやってハンセンに合わせる試合運びをしていることが、まず敬意の表れと言えるでしょう」(同)

 さらにアンドレは試合中、ハンセンにボディスラムで投げられてもいる。
 古舘伊知郎のテレビ実況によれば世界で5人目とのことだが、アンドレ自身が“投げられるに値する”と認めた相手にしかそれを許さなかったことは、多くの関係者が証言している。

 しかも、話はそれだけに終わらない。
 この試合、一度は両者リングアウトとなり、その延長戦では、ハンセンのラリアットを受けて場外転落したアンドレが、エプロン下から自前のサポーターを取り出して右ひじに着用。それをチェックするレフェリーにラリアットを食らわせて反則負けとなるのだが、そのストーリーはアンドレ自身が考えたといわれている。
 「ハンセンを模してサポーターを着けるということは、つまりラリアットの威力を認めたということ。しかも勝ち星まで譲るというのだから、アンドレがこれほどまでに相手を持ち上げたのは、アントニオ猪木やハルク・ホーガンに負けた試合ぐらいでしょう」(同)

 世界最高のプロレスラーを自負したプライド高きアンドレが、そこまで試合内容を配慮した事実からしても、ハンセンが世界標準で見てトップクラスにあったことは疑いようのない事実といえよう。

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