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俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈藤田和之vsミルコ・クロコップ〉

 2001年8月19日、『K-1アンディ・メモリアル2001』での藤田和之vsミルコ・クロコップ。およそ全ての格闘技ファンが、藤田の勝利を疑っていなかった−−。
 猪木軍vsK-1軍の大将戦として組まれたこのカード。藤田はこの頃、新日本プロレスを主戦場としていたが、前年PRIDEグランプリでは“霊長類ヒト科最強”マーク・ケアーを下すなど、日本の総合格闘技におけるヘビー級のトップと目されていた。

 片やミルコは総合初挑戦。この試合に向けてアメリカで総合用の特訓を積んだとはいうが、付け焼刃の感は拭えない。
 選手の格で見ても、このころのミルコはK-1においてピーター・アーツ、ジェロム・レ・バンナらトップ勢に次ぐ2番手グループの扱いであった。
 つまりミルコは、今後繰り広げられるであろう抗争の序章として猪木軍に捧げられた“生け贄”であり、藤田vsアーツや藤田vsバンナの前哨戦…これが偽らざる周囲の評価であった。
 「さらに言えば、当時の総合格闘技においては日本なら桜庭和志、UFC(アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ)でもティト・オーティズなどのレスリング出身選手がトップを張っていた。グレイシー柔術の神話も根強く残っていて“寝技有利、立ち技不利”が定説だったのです」(格闘技ライター)
 そのためK-1など立ち技の経験しかないミルコが、まさかレスリングベースの藤田に勝つなどとは、プロレスファンでなくとも想像していなかったのだ。

 そうした予想の通り、ゴングが鳴ると藤田は特に警戒する様子もなく、何度かタイミングを計ったところでミルコの脚にタックルを決める。サイドポジションを取られたミルコはなすすべもない。
 このまま勝負は決するかと思われたところで、レフェリーのストップがかかる。
 「寝技から逃れようとしたミルコが、ロープをつかむ反則でも犯したのだろうと思ったのですが…」(スポーツ紙記者)
 立ち上がった藤田の額からはマットに滴るほどの大出血。タックルが決まる直前に放たれたミルコのヒザ蹴りによるものだった。
 結果、ドクターストップでミルコに凱歌が上がる。藤田は納得のいかない様子で抗議を続けるが、裁定が覆ることはなかった。
 「完全に藤田の勝勢だっただけに“K-1にハメられた”というプロレスファンもいました。互いの身体が血で染まるような試合はテレビ向きではないという判断もあったかもしれない。だけど後に映像で確認すると、狙い済ましたヒザ蹴りがものすごい勢いで額を直撃している。あれを間近に見て、さらにおびただしい出血となれば、レフェリーがストップをかけたのも仕方がない」(同・記者)

 それでも、この試合に対する大方の見解は「アクシデントさえなければ藤田の勝ち」であった。
 確かにあのまま試合が続いたならば、藤田がミルコを決めて勝つ可能性も高い確率であっただろう。しかし、それは“頭蓋骨の厚さが常人の2倍”ともいわれる藤田の頑丈さがあってのこと。普通の選手ならばヒザ一撃で失神KOとなっても不思議はなかった。
 それを「ミルコに総合の技術なし」「くみしやすし」と判断したことが、プロレス界に悲劇を招くことになる。
 「脚へのタックルに対し、ミルコは狙ってヒザを合わせてきたわけで、そうなると安易に飛び込むことはできない。ならば、まずパンチやキックでミルコの態勢を崩す必要があるけれど、立ち技はミルコの得意分野であり、普段本格的な打撃練習をしていないプロレスラーの手に負えるものじゃない。タックルもできない、立ち技でも勝てないとなれば、実はプロレスラー側には攻め手がないのです」(格闘誌記者)
 ところが、次にミルコと戦った高田延彦は、試合中に足を骨折したため終始グラウンド状態で引き分け。「寝転ぶ高田に何もできないミルコはやはり総合適正なし」と勘違いを増幅させることになった。

 そうして迎えた大みそか。永田裕志はミルコのハイキックの前に一撃KOの敗北を喫する。
 以後、プロレスは冬の時代を迎え、一方のミルコは総合格闘家としての才能を開花させていった。

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