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球界復帰の思いが空回りした? 元盟友・桑田真澄氏が明かした清原容疑者の裏の顔

 2月4日、巨人キャンプを表敬訪問していた桑田真澄氏(47)が記者団の要請に応え、盟友・清原和博容疑者(48)が逮捕された件についてコメントを発した。

 その映像は同日中のTVニュースでも伝えられたが、桑田氏の「3年ほど絶縁状態であった」なる発言に驚いた巨人関係者も少なくなかった。
 「桑田さんの話が全て真実だとすれば、清原容疑者の態度はどうかと思います。桑田さんが仲介した野球関係の仕事をスッポかしたり、手を抜いたりしたと聞かされれば、桑田さんだって怒るし、心配もするでしょう。そういう気遣いをうっとうしいとし、距離を取った清原容疑者のほうが間違っています」(球界関係者)

 桑田氏は自身の元に来た解説の仕事や野球関係の講演会依頼がこなせないとき、クライアントに「清原を是非使ってほしい」と推薦していたという。だが、清原容疑者はマジメに仕事をしなかった。それを諫めた桑田氏に「もう放っておいてくれ」と、一方的に絶縁を告げ、約3年が経過したそうだ。

 現時点で、清原容疑者が覚醒剤に手を染めた背景に「プロ野球界復帰を願っていたが、叶わず、その焦燥感と寂しさがあった」と伝えられている。
 民放テレビ局スタッフもそれを裏付けるように、こう話していた。
 「逮捕までの約半年間、清原容疑者は自分から売り込んで来たり、『なんでもやるから』みたいな言い方までしていました。1時間の情報番組の5分くらいの出演でも引き受けていました。具体的な金額は言えませんが、駆け出しのお笑い芸人が得るくらいの出演料の仕事でもこなしていました」
 「生活のため」もあっただろう。清原容疑者が“ドブ板営業”を引き受けたのだが、テレビに出演し、その人気と存在感を示すことによって、どこかのプロ野球チームからお声が掛かると思っていたそうだ。

 近年誕生したプロ野球監督のなかには、野球見識や指導者経験ではなく、ネームバリューで招聘された者もいる。しかし、バラエティや情報番組は“畑違い”であり、復帰の希望は叶わないだろう。
 すでに時遅しだが、ならば桑田氏に謝罪し、関係を修復して野球解説の仕事を仲介してもらったほうが良かったのではないだろうか。

 スポーツ中継のTVプロデューサーが「一般論」と前置きし、こう言う。
 「大半のプロ野球OBは地上波でのプロ野球中継が減ったことを指して『仕事がない』とこぼしています。一理あるけれど、今は衛星放送で12球団6カードの中継をやっており、メジャーリーグも中継しています。仕事はないわけではない。ひと昔前のような高額なギャラはお支払いできませんが、私たちがお願いしたいと思える解説者が少ないんです。大半のプロ野球OBは勉強してくれない。アナウンサーが話を振っても、気の利いたコメントを出してくれないので」

 孤独の責任は清原容疑者の側にも責任があったようだ。

 2月4日、巨人キャンプを表敬訪問した桑田真澄氏(47)は、どこかぎこちなかった。
 「盟友の逮捕」について語ったのだが、記者団の質問が途切れると、「もう大丈夫ですか?」と、桑田氏のほうから聞き返していた。桑田氏はどちらかといえば、マスコミ嫌いなほうである。自身もかつてはスキャンダル報道の標的にされ、現役時代は番記者たちに「勉強不足だ」と噛み付いたこともある。もっと言えば、記者団が「清原容疑者の逮捕について会見を」と要請したとき、断るのではないかと思っていた。清原容疑者と絶縁状態にあったことは、桑田氏自らが切り出している。直接、清原容疑者に伝えることができないため、囲み会見という形でしか、伝えられないと思ったのだろうか。

 「今年1月、母校・PL学園野球部のOB会が開かれましたが、清原容疑者は欠席でした。PLのOBたちはKKコンビの絶縁を察していたようです」(高校野球の要人)
 だが、PL時代の仲間たちとは縁が切れていなかった。昨年12月半ば、清原容疑者は一学年先輩のPL野球部卒業生と個人的に会っていた。清原容疑者のほうから連絡を取り、食事をしたという。
 「PL関係者が会うと必ず話題になるのは、母校野球部の存続問題です。なんとかして野球部を残したいとの声が圧倒的で、会えば必ずと言っていいほど存続策の話し合いになります。でも、清原容疑者だけは『何かあれば自分も』という、一歩引いた言い方でした」(前出・同)

 清原容疑者はプロ野球界への復帰を希望していた。指導者願望があり、人一倍強く持っていたという。仮にだが、清原容疑者が「自分が母校の指導者になる。後輩たちのために」と口にしていたら、どうなっていただろうか。卒業生たちは全面的に協力したはずだ。しかし、学校側は賛成しただろうか。高校時代の彼は“ヤンチャ”で通っていた。野球以外、つまり、学園生活は劣等生であり、人間教育の場でもある高校部活動の指導者に相応しいタイプではない。清原容疑者はそういった自身の評価を知っていたので、母校野球部の存続問題については積極的に意見を言わなかったのではないだろうか。

 プロ野球解説者が『野球人・清原』をこう評する。
 「彼はスタメンのレギュラーでしか野球をやったことがない。極端な言い方をすれば、少年時代から中心選手でしか野球をやっていないんです。巨人移籍後、悪態ばかりが報じられるようになりましたが、客観的に見れば、年齢的に力が衰えていました。肉体改造などで頑張ったことは認めますが、ベテランとして、どうやってチームに生き残っていけばいいのかを考えず、4番であり続けようとしていました。4番であり続ける生きざまもけっこうですが、ベテランとして一歩引いてチームのために尽くす野球を受け入れようとしなかったから、引退後の生活に適応できなかったのではないか」

 かつて、清原容疑者を指導した森祇晶元西武監督がこんなことを話していた。「名将の下で野球をしなければ、監督にはなれない」と。自身が現役時代に川上哲治氏に鍛えられた経緯について語っていたのだが、清原容疑者はPL学園で名将の誉れ高い中村順司氏に鍛えられ、23年のプロ野球生活で森、長嶋茂雄、仰木彬の3氏の下で学んでいる。清原容疑者は「現場復帰したい」とこぼしていたが、恵まれた環境にいたのである。清原容疑者が名将の下で学んだ経験を生かそうと思えば、引退後の人生は変わっていたのではないだろうか。(了)

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