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極地探検史上最悪の悲劇。フランクリン隊全滅の謎?(2)

 いまから169年前の1845年、イギリス海軍は大西洋からカナダの北を回って太平洋へ抜ける「北西航路」を開拓するため、北極探検のエキスパートを結集した大規模な遠征隊を派遣した。隊長は北極探検の英雄であるフランクリン卿で、靴を食べて餓えをしのぐほど壮絶な困難を乗り越え奇跡の生還を遂げたことから「靴を食った男」のと異名を奉られていた。また、探検隊が乗る軍艦エレバスとテラーは、南極探検にも用いられた優秀艦で、当時としては最新鋭の装備を誇っていた。

 しかし、フランクリン隊は出発から3年たっても帰還せず、多くの艦船を動員した十数年に渡る大規模な捜索が行われた。その結果、フランクリン卿を始めとする129名の隊員は、全て死亡していた事が明らかになったのである。

 フランクリン隊をのせていた軍艦エレバスとテラーは沈没し、残念かつ不可解なことに隊員はメモなどをほとんど残さなかったため(当時の極地探検においては、機会を見て要所にケルンを積み、メモなどを残すのが一般的であった)、彼らがどのような経路をたどり、いかにして全滅に至ったのか、詳細は今もなお謎とされている。しかし、遠征の初期段階で病死し、埋葬された隊員の墓碑銘と、捜索の過程で発見された2通のメモにより、断片的ながらもその足取りは一部判明している。

 それらの情報によると、まずフランクリン隊は1845年の7月に捕鯨船と遭遇した後、永久流氷の限界近くまで北上、再び南下してカナダ北極圏のビーチェイ島へ上陸、翌46年の4月までは同島で越冬している。ビーチェイ島にはメモなどの記録が残されていなかったものの、病死した隊員3名の墓があり、それぞれの墓碑には1846年1月1日と4日、同年4月3日と記されていた。

 墓碑銘の日付は、無補給での遠征を始めてからわずか半年、まだ食料も十分な最初の越冬地で早くも病死者を出していたことを示していた。それは、北極圏の野外活動に関する技術や知識が発展途上だった19世紀とはいえ、いささか異常な事態であった。

 近年に行われた埋葬遺体の調査によって、直接的な死因は肺炎などの呼吸器疾患と判明したが、それとは別に極めて興味深い情報が得らられた。遺体からは、通常で考えられないほど高い濃度の鉛が検出され、隊員は生前に「鉛中毒による精神的、肉体的に深刻な問題を被っていた可能性がある」と考えられたのである。つまり、隊員はなんらかの原因で長期的かつ恒常的に鉛を摂取してしまい、探検の初期段階にもかかわらず健康を害していた可能性が高いのだ。
 なぜ、隊員は長期的かつ恒常的に鉛を摂取してしまったのか?

 謎をとく鍵は、皮肉にもフランクリン隊が持ち込んだ当時の最新技術にあった…。(続く)

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