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【バラエティ黄金時代】とんねるずの黒歴史

 とんねるずといえば、東のお笑いシーンに風穴を開けた突破者。深夜ラジオをすれば、男性ヘビーリスナーから崇められ、歌手デビューすれば、ヒットソングを連発。駆けだしだった秋元康と手を組んだことによって、石橋貴明と木梨憲武は、過激でスパイシーな爆弾を次々と投下していった。

 その地位を不動のものにしたのは、『とんねるずのみなさんのおかげです』(フジテレビ系)。不定期特番から88年、現在の木曜21時〜に昇格して以降、放送休止(後述)の憂き目にも遭ったが、97年に現在の『とんねるずのみなさんのおかげでした』に改題。“新・食わず嫌い王決定戦”、“博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜”、“買う。”シリーズなど、ヒット企画は多い。

 ロングセラーであり続けると、当然、黒歴史も生まれる。ブレイク前のタレントや絶頂期のアイドルに、下ネタを超えたセクハラを仕掛けると、非難が殺到。意図的にBPO(放送倫理・番組向上機構)に挑戦状を叩きつけることで、テレビ界に歯向かっていた。

 そんななか、今なお語り継がれているのは、松嶋菜々子だ。ド新人のころ、コント『近未来警察072』に出演。下っ端の女隊員に扮した松嶋は、とんねるずにいじめられながら、卑猥なセリフを言わされるのがお約束だった。石橋に殴られ、蹴られながら、「あー、クセになりそう。私はあなたたちのメスブタよ。もっとイタぶってちょうだい」、「中はダメ。外ならどこでもいいから」、「今日は私が上になるわ。そうよ、下から突きあげて」、「あー、空気が入っている」と言わされた松嶋。現在、これらの映像は、松嶋の事務所がすべて買収したため、もう2度と観られない(一部はネット上で出回っているが)。

 同番組は、木梨演じる『仮面ノリダー』というコントキャラクターが子ども人気を得た一方で、松嶋、牧瀬里穂、観月ありさといった次代の美少女をいち早く抜てき。彼女たちに石橋は遠慮なく、キスを迫ったり、押し倒したり、添い寝をしたりで、やりたい放題だった。牧瀬にいたっては、口に入れたお粥を顔に垂らしたこともある。また、親交がある小泉今日子には、彼女が食べていたイチゴを取りあげて、自分の口に入れたこともある。石橋はまさに、ブレーキが壊れた暴走機関車だった。

 やりすぎ企画で、番組が休止に追い込まれたこともある。前身番組の“〜です”のころ、当時、社会現象といわれた霊能力者・宜保愛子をパロディ化。石橋が過剰メイクを施した宜保にふんして、“真夜中のドッキリ 爆破でドン!”を実施した。あえてのやらせ心霊ツアーを組み、洞窟を爆破。ところが、後片付けを怠ったまま、現場を撤収。現地関係者が訴えたことで表面化し、番組は放送休止の処遇を食らった。

 スタッフの過失は、ほかにもある。当時、自殺の名所として有名だった静岡・富士の樹海でロケを行なった際にも、ロケ用に持ちこんだ発泡スチロールを撒き散らしたまま、退散。地元住民がクレームを入れたことで、発覚した。

 これらに関しては、とんねるずに非はない。しかし、あこがれ芸人を前にして、力量以上の何かを見せようと奮起する芸人魂が招いた事故はある。ずん・やすが、12年にそれを引き起こした。新潟県内のゲレンデで、水上スキー用のゴムボートに乗って、タイムを競うゲームに挑戦していた際、滑走後、減速して停止するはずだったが、勢い余ってスロープを乗り越えて、約4メートル転落。小屋に激突して、腰を強打した。救急搬送された病院では、第2腰椎破裂骨折および第1腰椎両側突起骨折などと診断。芸能界引退、ずん解散も頭をよぎった。ところが、およそ半年後に復帰。当然、同番組でも復帰を祝す企画が施され、芸人らしく、事故をも笑いに替えることで、そのポリシーを貫いた。

 かつては、『人間大砲』という企画でも、歌手・葛城ユキが骨折事故を起こしているだけに、やりすぎバラエティはつねに、議論の的となる。それでも危険な橋を渡ってしまうのが、芸人の哀しい性。吊るし上げという征伐を食らいながらも、歩みをやめないのだ。

 そのエキスパートだったのが、とんねるず。デビューから四半世紀を過ぎ、50の大台に乗った今なお、視聴者に媚びない。視聴率、製作費、BPOを無視するその姿勢は、彼らの専売特許。「丸くならないでほしい」というのが、業界関係者の総意である。
(毎週木曜日に掲載)

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