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俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈橋本真也vs小川直也〉

 1・4東京ドームはプロレスファンにとっての事始め。新年初出勤もそこそこに切り上げてJR水道橋駅を降りる会社員の姿が、かつては多く見られたものだった。
 だが、1999年の大会では、そんな正月気分の抜け切らないファンを“目覚めさせる”事件が勃発する。

 『小川直也VS橋本真也』
 猪木が小川育成のために立ち上げた新団体UFO(世界格闘技連盟)と、新日との対抗戦として組まれたこの試合。大会前の話題の中心は大仁田厚の新日初参戦であって、過去に2度対戦しているこの顔合わせは、実はさほど注目されていなかった。

 だが、小川の入場とともに会場の空気は一変する。
 シェイプアップされた身体はかつての新日参戦時とまるで別人。さらには両の手にはめられたオープンフィンガーグローブ。この3カ月前には高田延彦がヒクソン・グレイシーに2敗目を喫したばかりで、そんなプロレスの敵ともいうべき総合格闘技スタイルは観客を当惑させるに十分だった。
 一方の橋本もいつになく緊張した雰囲気で、観客席からはそれとわからないが、その上半身には組み付かれても逃げられるようにオイルが塗られていた…。

 場内が緊張した空気に包まれる中、ゴングが鳴る。
 小川が間合いを詰めてジャブを放つと、これがいきなり橋本の顔面にヒット。実質的にはこの一発で試合終了だった。
 崩れるようにして後ずさりをした橋本は以後反撃らしい反撃を見せることなく、小川から一方的にマウントパンチ、顔面踏み付けと攻め立てられる。
 試合時間6分58秒−−。結果こそはノーコンテストとされたが、誰の目にも橋本の惨敗は明らかだった。

 この試合を「小川が仕掛けたセメント」と評する声は今も根強い。小川のセコンドに付いた佐山聡が後に「小川に興奮剤を使わせた」と語ったことも、セメント説を補強することになった。
 だが、それとは異なる証言もある。
 「小川は試合後、電話で“俺は何もやってませんから”と言ってきた」(新日、UFO双方と関わりのあったX氏)

 “何もやっていない”とはどういうことか。
 「小川はあくまでもプロレスとしてリングに臨んだということ。それを橋本が一人で“仕掛けられた”と勘違いして怯んでしまったために、おかしなことになったんだ」(同)

 これまでも小川は、UFO自主興行において格闘技色の強い試合をしていたが、それはあくまでもプロレスの範疇のこと。そしてこの日もそれと同じ闘いをしただけだというのだ。
 だが、それが真相だとしても、橋本だけを責めるわけにもいかない。
 「試合前には誰が言うともなしに“猪木さんが何か仕掛けてくるに違いない”との噂が流れていて、新日勢はみんなピリピリしていました」(新日関係者)

 それもあって、試合後の両軍入り乱れての乱闘では新日勢が感情的になり、小川のセコンドに付いた村上一成を病院送りにするほどの過剰な暴行を加えることにもなった。
 試合前日に予定されていたルールミーティングという名の“事前打ち合わせ”に小川が欠席したことも、橋本を疑心暗鬼にさせた。

 とはいえ、小川と橋本は、ほどなくして互いに矛を収めている。
 「橋本が小川を信用していなければ、その後の“負けたら即引退”なんていうバカげた試合など受けるはずないからね」(前出のX氏)
 小川もまた橋本のそんな度量の広さを信頼し、橋本が『ZERO-ONE』を旗揚げするとこれに参戦。小川&橋本のOH砲として共闘も果たしている。

 2人の関係はそうして丸く収まったが、しかし、収まらないのはプロレスファンの心中だ。「新日本プロレスのファンのみなさん、目を覚ましてくださ〜い」との小川の試合後のマイクは、まさしくその言葉の通り、プロレスファンの目を覚まさせた。格闘スタイルの小川に橋本が完敗したことは、プロレスラーの強さに疑念を抱かせることにつながったのだ。
 そうしてみるとこの“1・4事変”こそが、プロレス界長期低迷のきっかけであったと言えるのかもしれない。

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