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内藤新宿の幽霊

 内藤新宿−−ひと頃流行った気がするが、すっかり聞かなくなった。
 改めて、今の新宿1丁目〜3丁目のあたりのこと。駅前から、末広亭やデパート街あたりまで。新宿が甲州街道や青梅街道に行く旅人たちの宿場として、最初に繫華街化なった頃の呼び名が[内藤新宿]であり、一帯はお堀と柵で囲われた遊郭街にもなった。1625年ごろのことだ。

 時代は下って、1918年。遊郭街は、新宿2丁目に越した。[新宿遊郭]の誕生である。それまでこの地は、芥川龍之介の養父の牧場だったそうだ。

 明和9年〜大正12年までの150年間に、今もひっそりと佇む近隣の《成覚寺》に2200人の遊女の遺体が投げ込まれた。一か月に一人以上の計算だが、多いのか少ないのかわからない。境内には、決して珍しくないパターン=幼年で売られ15歳デビューくらいの遊女たち、を含め、皆20歳くらいで亡くなって投げ込まれた遊女たちを祀る《子供合埋碑》がある。

 幽霊の噂は無いか、新宿2丁目を歩く…。
 不思議な場所だ。見た目は男でも、物腰でいくらでも色っぽくなるんだなあ、というのが最初の感想であった。彼女たち、女性にモテるはずである。

 <ママが5人死んだ店がある。全員が鏡に映ったもの>だそうだ。こわ。
 根も葉もない噂ではなかったが、「ずいぶん昔の話よねー」と言われてしまった。

 いっぽう、「絶対に遊女が出るハッテン場もあるわよ」という証言もあった。

 遊女伝説はこの地に生きているようだ。
 皆さんも、成覚寺にお参りに行ってはいかがだろう。

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