当代随一の人気歌舞伎役者だった中村勘三郎が12月5日、急性呼吸窮迫症候群で急逝。57歳。女は芸の肥やし−−まさに勘三郎は、この格言を実行してきた。10代の頃から知る梨園関係者がルーツを証言する。
「勘三郎が19歳の時に年上の太地喜和子さんに翻弄されて失恋したのがトラウマになって、勘三郎を女に走らせたんだと思います」
太地喜和子(享年48歳)は'92年に舞台『唐人お吉』の公演先の静岡県伊東市の港で自動車の運転を誤り海に転落、事故死した。
「太地が女優としてデビューした頃、ベテラン俳優・三國連太郎と燃えるような不倫をしたのは、芸能スキャンダル史に残る有名な話ですよ。その後、俳優の秋野太作と結婚。短期間で離婚後、共演俳優や自殺した伊丹十三監督と“不倫”。元祖魔性の女といわれたんです」(映画関係者)
当時、勘九郎と名乗っていた19歳の勘三郎は12歳年上の“魔性の女”太地に狂ってしまったのだ。
「既に休刊になった女性誌『微笑』の記者が勘三郎が太地のマンションにいるのを目撃。直撃しようと思ったら、窓から屋根伝いに逃げたのはいまだに忘れられませんよ」(元女性誌記者)
『微笑』で熱愛が発覚後、勘三郎は父親で先代勘三郎に太地との仲を認めさせた。
「ところが、会うたびに喧嘩が絶えなかった。原因は太地の男性関係に対する勘三郎の嫉妬。お互い酒豪ですからね。ある時、渋谷の某居酒屋で呑んでいた2人が口論になったんです。勘三郎は酔った勢いで太地を突き飛ばした。その弾みで太地がテーブルに頭をぶつけて大出血。翌日、頭に包帯を巻いて制作会見に臨んだんです。太地は怪我には一切触れませんでしたね」(前出・元女性誌記者)
太地の父親代わりだった銀座8丁目のバーのマスターの話。
「勘三郎さんは、家でも太地を殴ろうとしたことがありました。ベタ惚れでしたね。でも、勘三郎さんには太地は奔放過ぎて手に負えなかった。太地も勘三郎さんの将来を考えて、自ら身を引いたんです」
やはり女は芸の肥やし。