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【幻の兵器】この連載では例外!約20年にわたり使用され続けた「十一年式平射歩兵砲」

 第一次世界大戦といえば塹壕陣地に機関銃、自殺行為同然の歩兵突撃というイメージが浮かんでくるだろう。もちろん、後方の野砲や重砲による砲撃で陣地を制圧することも可能だったが、それはあくまでも一時的なものに過ぎず、最終的に無力化するには陣地に砲弾を直撃させるほかはなかった。そのため、歩兵が自前で装備して行動をともにし、最前線から陣地を直接砲撃する軽火砲が必要になり、その結果として生まれたのが歩兵砲である。

 欧州における歩兵戦闘の変化を知った日本軍は、第一次世界大戦中の1916年には早くも「機関銃破壊砲」の名称で歩兵砲の研究開発に着手し、翌17年には狙撃砲と名付けられ、シベリア出兵の際には第十二師団へ配備されて実戦にも参加した。狙撃砲は歩兵連隊に設置された特殊砲隊が1個小隊(2門)を装備しており、機関銃陣地の制圧以外にも河川用砲艦の破壊や敵歩兵部隊への攻撃など広範囲に活躍したとされる。

 狙撃砲は口径37ミリの軽火砲で、移動時は車輪を取りつけて人力牽引した。また、狙撃砲は防楯が上下に分かれており、下部防楯の角度を調節することで砲身高を変化させることができた。これは、低い姿勢で平らな弾道を描く砲弾を発射する平射と、高い姿勢で山なりの弾道を描く曲射とを両立させようと試みたための仕組みである。当時は平射で狙撃するか、または曲射によって陣地の上から砲弾を降らせるかのいずれが効果的か結論が出ていなかったことによるものだが、機構的にはいささか無理があったのではないか。

 なにしろ、狙撃砲破甲榴弾の炸薬量はたったの35グラムに過ぎず、たとえ曲射が可能であっても爆発効果が小さいため、実戦ではほとんど意味をなさなかった可能性が高い。というのも、その後に開発された歩兵砲は平射歩兵砲と曲射歩兵砲となっており、それぞれの専門へ特化しているのだ。そして、曲射砲として開発されたのが日本初の近代迫撃砲とも言える十一年式曲射歩兵砲であり、平射砲として開発されたのがこの十一年式平射歩兵砲だった。

 十一年式平射歩兵砲は狙撃砲と同様に口径37ミリの小型砲で、車両や機関銃座に対する直接照準射撃を目的として開発された。この砲は狙撃砲が完成した直後の1919年11月に設計作業が始まり、翌年前半には早くも試作砲が完成している。だが、試験によって発射薬の不完全燃焼が判明し、砲身や砲架を改修した上で再度試験を行い、第二次試作砲は1921年の大演習で披露された。十一年式平射歩兵砲は狙撃砲から発展した火砲とされているものの、フランス軍のプトー1916型やアメリカ軍のM1916歩兵砲(事実上、プトー砲の米軍型)に外観などが酷似していることから、それらの歩兵砲をモデルとして開発されたのは明らかだろう。

 歩兵砲の大きな役割のひとつは防御された敵の機関銃座を破壊することであり、高い命中精度に加えてつるべ打ちに発射する能力が求められた。発射速度を早くするため、十一年式平射歩兵砲には半自動式垂直鎖栓が装備された。半自動式垂直鎖栓とは、砲弾装填後自動的に砲尾を閉鎖し、発射が行われると自動的に開放して排莢を行うというものだ。そのため装填手が砲弾を突っ込むだけで、砲手は次々と発射することができた。

 また当初、十一年式平射歩兵砲は十二年式榴弾を使用していたが、後に九四式徹甲弾と九四式榴弾、そして一三式榴弾を使用することとなった。装薬(発射薬)量こそ異なるものの、後に使用することとなった九四式徹甲弾と榴弾の弾頭は、九四式三十七粍砲や九四式三十七粍戦車砲、九八式三十七粍戦車砲で使用された同徹甲弾、及び榴弾と同一で、豆対戦車砲としての役割も担っていた。とは言え、十一年式平射歩兵砲は軽量化を優先したため全体的に耐久力が不足しており、発射薬の量に制限があった。そのため、砲弾の初速が低下してしまい、装甲貫徹力も不十分だった。

 大正十一年(1922年)に制式採用されたことから、十一年式平射歩兵砲と呼ばれるようになった。十一年式平射、曲射の両歩兵砲は1931年に日本軍が中国東北部へ武力侵攻した際に使用された他、上海の武力衝突でも日本海軍の陸戦隊が多用している。その他、限定的とはいえ対戦車能力を有していたことから、八九式中戦車やルノーNCの主砲としても使用されたことがある。

 実際1932年の上海戦では、曲射歩兵砲とコンビを組んで歩兵に貴重な支援火力を提供している。上海一帯はクリークとレンガ造りの民家が錯綜する情況で、あたかも第一次世界大戦をほうふつとさせる陣地戦となったが、銃砲火を犯して前進した平射歩兵砲が敵火点を丹念につぶし、ようやく歩兵が前進できるといった有り様だった。また、その後の日中戦争においても中国軍の戦車を海軍陸戦隊が撃破するなど、対陣地対戦車両用の万能砲として頼りにされた。なにしろ、日本初の本格対戦車砲である九四式三十七粍砲が制式採用されたのは1936年で、当時はまだ対戦車砲そのものが存在していなかったのだ。

 とはいえ、戦車の装甲が強化されると存在価値は小さくなり、先に述べたように軽量化を優先した耐久力の不足によって、改良、強化の余地もほとんど無かった。ただ十一年式平射歩兵砲は相当数が生産され、九二式歩兵砲が現われた後も更新に時間がかかり、なかには1939年に至っても装備している部隊が存在していた。また、部隊によっては十一年式平射歩兵砲を装備したまま太平洋戦争に突入しており、約20年にわたって使用され続けた兵器であった。

(隔週日曜日に掲載)

■十一年式平射歩兵砲
口径:37mm
全備重量:89kg
最大発射速度:20発/分

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