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美女ざんまい「実話劇場」 一条さゆり(二代目)インタビュー

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提供:週刊実話

 萩尾なおみとして、にっかつロマンポルノ25本を含む50本のポルノ映画に出演。昭和61年(1986年)9月に二代目を襲名し、ロウソクベッドショーで一世を風靡した一条さゆり。近頃は名前を聞かなかったが、実はつい最近までステージに立っていたのだという。年内に真の“引退興行”をするというので、ご本人を直撃した――。

一条 一昨年、還暦を迎えました。それまでは年齢を非公表にしていたのですが、公表するようにしたんです。だって、還暦でストリップの舞台に立ってるだけで面白くないですか?

――正直、いまも現役だったとは驚きました。まさか伝説のロウソクベッドショーを還暦すぎてもやられていたなんて…。
一条 正確に言うと、「美的SM」という女の子6人くらいのユニットを組んでいて、私はその座長。手品や演劇、過激なSMショーの合間に、私のロウソクショーを挟むなどしています。岐阜のまさご座と神奈川の大和ミュージックだけにしか出ていないので、知る人ぞ知る、だったのかもしれないですね。
 日本大学芸術学部卒。女子大生ヌードの走りとなり、新劇でも活躍した一条。離婚後、40歳で中国広州に語学留学し、そのまま10年住み続けた。現地から香港の新聞にエッセイを寄稿し、それをまとめた書籍が発売されるたびに日本でも注目を浴びる。’04年に期間限定の復活を遂げるも、その後はメディアに出ることはあまりなかったのだが…。

――最近の舞台の話を、もう少し聞かせてください。
一条 期間限定の復活をした後、色んな所から声をかけられて、不定期で出演はしていたんです。そのうち、都内のSMクラブなどで働く女の子から「舞台の勉強がしたい」と言われて組んだのが初期の「美的SM」でした。3年ほど活動して解散。10年間の留学の後に帰国して「さて、何をして食べていこう」となった時に、踊り子さんの衣装を作ることを仕事にしたんです。そうこうしているうちに「また美的SMをやってよ」と言われるようになって再結成。今度はSMショーをやられてる現役の踊り子さんたちを集めたユニットにしました。ただ、それも今年の4月で私が座長を降りることが決まっていたんです。本当の意味の“引退興行”ですね。コロナで延期になってしまいましたが、年内には必ずやりたいと思っています。

――引退後の予定はあるのですか?
一条 介護問題に興味が出てきて、その勉強をするつもりです。

★一人で百人を相手に!?

――中国に渡られた時、唐突な印象を持ったファンの方もいると思います。なぜ中国だったのでしょう?
一条 当時は40歳でしたが、離婚したのがきっかけでした。手持ちのお金で大阪から東京に移住するには部屋を借りるだけでも大金が必要ですよね。そこで思いついたのが広東語を学ぶための語学留学でした。香港のポルノ映画に出たことがあるので、中国には親近感があったんです。でも、香港は物価も高くて寮もないことを知り、香港から電車で1時間半ほどの広州を選びました。最初は1年間だけ勉強したら帰国するつもりだったんです。それが、気づいたら10年も住みついちゃいました。

――現地には知り合いや日本人もいたんですか?
一条 それがまったく。でも、寂しくはありませんでした。師範大学で日本語を専攻する4年生が15人いて、毎晩のように誰かが訪ねてきては「何か不自由はないか」「日本語を教えてくれ」と話しかけてくれて忙しかったんです。おかげでみなさん、すっかり日本語が上手になってました。私の広東語はそれほどでもないのに(笑)。そうこうするうちに香港の新聞からエッセイの依頼がきて、毎月20本ほど書きました。香港の原稿料で広州で暮らしていけるので、けっこう豊かだったと思います。

――中国といえば爆買いですが、当時、すでにリッチな人もいたんですね?
一条 いましたよ。貧富の差がものすごくて、私がいた時には「絶対に道路側を歩くな」と言われていました。なぜなら、子供を産ませるために名門大学の女子大生がワゴン車で連れ去られたりするんです。生まれた子を売るためですが、立派な遺伝子の子を作るためには、いい大学にいる女子大生が狙われるんです。私は若く見られたのか、ホテルに行くと完全に高級コールガールと間違えられてましたね。すごいダーティーな街だったけれど、それがまた面白かったです。

――日本語学科の学生さんは一条さんのことをストリッパーだと知っていたんですか?
一条 最初は知りません。でも、エッセイを書くことになって話しました。香港では一条さゆり(小百合)の名前はそれなりに知られていたのと、漢字にするとちょっとエッチな意味になるんです。一本の(一人の)女が百人を相手にする、みたいな。なので、みんな面白がってくれましたね。

――帰国した理由は?
一条 日本語学科の一人の女性と部屋をシェアしていたのですが、飼っていた犬が死んじゃったんです。なんとなく潮時かなと…。

――独り身になって21年、浮いた話はないんですか?
一条 まるっきり興味がないんです。私、思い返してみると、踊り子としての仕事とかポルノ映画にも出てはいましたけど、あんまり性表現をしてないんですよね。脱いではいるけど、バーンと股間を開いてオープンしていたわけでもないし、露骨にイク顔をするわけでもなかった。これだけ長いこと裸の世界にいるのに、実は性に対して興味がないんだな、というのを改めて思いました。セックス自体に関心も薄くて、私生活では「しよう」と言われたからする、みたいな(笑)。

――では、いまも正真正銘の独り身ですか?
一条 犬とは暮らしてますけどね。西太后が飼っていたと言われてるペキニーズです。男の子ですけど、寂しいからって獣姦はしていませんよ(笑)。

――最後にお聞きします。初代の命日とかには何かされていますか?
一条 一昨年、初代が終の棲家にしていたという大阪西成のビルを訪ねました。私も還暦になる年齢だったので、初代が生きていたところを訪ねたくなったんです。無縁墓地に葬られているという報道もありましたけれど、ちゃんと妹さんご夫婦がお墓を守ってらっしゃるんですよ。

◆いちじょうさゆり 1958年8月9日生まれ。著書に『踊り子の日記』『中国洗面器ご飯』など。初代は1997年8月3日没(享年68)。

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