search
とじる
トップ > 社会 > 田中角栄「怒涛の戦後史」(26)元首相・大平正芳(中)

田中角栄「怒涛の戦後史」(26)元首相・大平正芳(中)

 昭和27(1952)年10月の総選挙で、田中角栄が吉田茂率いる自由党から3回目の当選を果たしたとき、それまで池田勇人蔵相の秘書官だった大平正芳が、同じ自由党から初当選を飾った。ともに第1議員会館に入ったことで、これが田中と大平、2人の「盟友」関係の出発点となった。

 当時の衆院議員会館は木造2階建てで、一昔前の田舎の小学校といったおもむきだった。ちなみに、昭和38年に現在のような鉄筋コンクリートの会館として建て替えられている。

 天井にはゆったりと扇風機が回り、廊下は歩くとミシミシ、ギーギーと音を立てた。議員個々の部屋には電話が1本だけ、秘書との仕切りもカーテン1枚だけといった具合だった。

 その第1議員会館には、戦後日本を支えた錚々たる顔ぶれが入っていた。吉田茂、池田勇人、佐藤栄作、益谷秀次、林譲治、黒金泰美らである。田中も大平も、そうした中でもまれた。

 部屋がすぐ隣だった田中と大平は、最初からウマが合った。年齢は大平が上だが、当選回数は田中のほうが上で、大平は夜、田中の部屋にまだ明かりがついていると、夏場ならランニングシャツにステテコ姿で、「角さんは?」「兄貴いるかい」などと言っては、部屋に入っていくのだった。

 すでに田中は、前年の昭和26年までに建築士法、改正河川法、住宅金融公庫法、公営住宅法など、戦後日本の復興に資する議員立法を成立させており、この27年には同様の議員立法として、道路法の改正もしていた。

 議員立法とは、官僚が法律のドラフト(草案)をつくってくれる内閣法と異なり、議員自らがドラフトを書き、国会答弁から与野党、各省庁への根回しまですべて一人でやらなければならず、相当の政治的能力と個人の力量を要求されるものである。

 田中がすべての政治生活の中で、自ら提案してつくった議員立法はじつに33本、他議員と共同のそれを含めれば100本を超えており、改めて田中という政治家の凄さが分かる。何十年と議員生活をしていても、1本の議員立法さえつくらずに引退する者が山のようにいる。それが、今日でも現実と言っていいのである。

 さて、それから10年後、こうして互いの友情を高め合った2人が、政治家として大きく花開く日を迎えたのは、第2次池田(勇人)改造内閣であった。

 池田は大蔵省の部下時代から、大平をかわいがっていた。大平がそばにいると、どういうものか安心するのである。そういう意味では、大平は生まれ持った人を寄せつける雰囲気があったために、池田は大平を蔵相秘書官に就け、安心できる同志として政界入りを促したということであった。

 そんなこともあり、改造内閣の人選を任されたのは、いよいよ池田の信頼が厚みを増していた時だった。大平は、時に官房長官であった。

 大平は組閣名簿を池田のもとに持って行ったが、ここで池田の顔色が変わった。大平は自らを外務大臣としたが、大蔵大臣に田中の名前があるのを見た池田が、難色を示したのである。

★「俺たちの内閣だ」

「あの訳の分からん男が、なぜ大蔵なのか。放言はするし、事件にも引っかかったように、なんとも危なっかしい。田中の大蔵だけはダメだ。他のポストへ回せ」

「事件」とは、田中が炭鉱国管疑獄に連座したうえで“獄中立候補”し、総選挙で勝ち上がってきた過去を指している。ましてや当時の蔵相ポストは、大物官僚上がりが座るというのが恒常化していたのに対し、東大法学部卒業でもなしの尋常高等小学校卒、しかも年齢も蔵相としては例のなかった若さである。

 池田としては、内閣が持たないとの不安がつのって当然だった。大蔵省幹部からの反対も強い中、しかし、大平はこう言って池田に食い下がったのだった。

「たしかに田中の年齢は若いが、経済や財政政策への能力は相当なものがあります。もし、総理がどうしても田中蔵相ではダメとおっしゃるなら、自分は今回の入閣を見送らせていただくつもりです。なんとか、田中の蔵相だけは認めていただきたい」

 かわいがっていた側近中の側近である大平にそこまで言われては、池田としてはそれをのむしかなかった。正式に閣僚名簿が発表されたあとで、田中と大平は人知れず「これは俺たちの内閣だ」とばかり、手を取り合って喜んだ。
 しかし、政界は計算と嫉妬が、どす黒く渦巻くカオスである。また、中傷は世のならいでもある。田中にも親しい政治部の記者から、こんな“忠告”が入った。

「大平は、なかなかの男ですよ。角さん、あんたより人は悪いよ。裏切られるときが、きっと来ますよ」
 すると、田中が返した。

「いいんだ、いいんだ。もし、そういうことがあれば、俺に人を見る目がなかったということだ。俺は大平を『盟友』だと信じている」

 この「俺たちの内閣」から10年後、田中は天下取り、自民党総裁選に打って出た。大平が、これを支えた。振り返れば、これが田中と大平、盟友2人の“青春”のピークであった。
(本文中敬称略/この項つづく)

***************************************
【著者】=早大卒。永田町取材50年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。

社会→

 

特集

関連ニュース

ピックアップ

新着ニュース→

もっと見る→

社会→

もっと見る→

注目タグ