小長啓一との「運命の出会い」は、その通産大臣に就任してからであった。あえて運命の出会いとするのは、その後の首相就任時、国民から「今太閤」「庶民宰相」と歓呼の声で迎えられた大きな要因に、田中が「日本列島改造論」という雄大な構想を披歴したことがあったが、この改造論をまとめるにあたって、小長の存在が不可欠だったからである。
官僚としての小長の政治家・田中角栄への心酔と、身を惜しまぬ尽力がなければ、あのような形でインパクトのある“作品”が発表できたか分からなかったのである。
「田中通産大臣」が決定した日、通産省からの大臣秘書官に推された小長は、人事担当責任者である官房長と共に、首相官邸にいた田中にあいさつに向かった。官房長が言った。
「通産省と致しましては企業局立地指導課長の小長を、秘書官として推薦させていただきたいと思います」
田中は、「分かった。君らが決めたことに異存なしだ。よろしく頼む」と言った。
それから10日ほどたったとき、田中が小長にこんな話を語りかけた。
「小長君。君の生まれはどこかね」
「岡山県でございます」
そして、続けた。
「岡山か。温暖な気候の岡山の人にとっては、雪はロマンの世界だよな。川端康成の『雪国』のように、トンネルを抜けたら銀世界、それを窓外にしながら酒を楽しむ。まあ、そんなイメージだろう。
だがな、新潟県人の俺にとって雪は生活との戦いなんだ。俺が地方分権や一極集中を排除しなきゃいかんと言っている発想の原点は、まさにそこなんだよ」
すでに田中は、幹事長や大蔵大臣を歴任し、押しも押されもせぬ大物政治家だった。その大物政治家が問わず語りに漏らしたこの言葉を、小長は次のように受け取ったと述べている。
「ズッシリと響いた。これは生半可な仕事をしていては、とても田中さんの秘書官は務まらないと思った。じつは、秘書官就任にあたって、大蔵省で田中さんの秘書官を務めた先輩にも、こうアドバイスをもらっていた。
『とにかく忙しい人だ。あとを付いていくだけで大変だぞ。事務方が長々と説明したって、聞く人じゃないからな。まず、それに慣れることだ』と。その通りだった」(『田中角栄 心を打つ話』宝島社=要約)
小長は「ズッシリと響いた」言葉をより理解するために、田中が自民党・都市政策調査会長時代にまとめた、都会と地方の経済格差をなくすための交通、情報通信などのインフラ整備を促した「都市政策大綱」を読む一方、田中が戦後復興に向けてつくり続けた鉄道、道路、住宅など、33本の議員立法を頭に叩き込んだのだった。
ちなみに、この「都市政策大綱」は、のちに発表された「日本列島改造論」の“土台”となっており、これにさまざまな角度から徹底的な“肉付け”を加えたものが、「日本列島改造論」になったのである。
★見せつけられた田中の交渉能力
田中が通産大臣として最初に直面した大きな試練は、「日米繊維交渉」であった。田中は不思議な男で、彼が就いたポストでは、必ず問題が待ち構えているのである。
幹事長では自民党の「黒い霧事件」の責任を取らされ、大蔵大臣では山一証券の倒産回避のために「日銀特融」の断行を迫られるといった具合で、この「日米繊維交渉」でも、なんとも難題を押し付けられた格好だったのである。
「日米繊維交渉」とは、昭和44年12月、ニクソン政権が日本に対し、繊維製品の輸出自主規制を求めてきたことから始まったもので、日米両国の主張には大きな隔たりがあった。田中の前任として、大平正芳、宮澤喜一の両通産大臣が交渉にあたったが、まとまる気配はまったくなかった。ところが、田中は通産大臣に就任するや、なんとわずか2カ月余りでこれを決着させてしまったのである。
折から、佐藤政権は翌年の「沖縄返還」を控えており、これをスムーズに運ぶには交渉の決着が不可欠であった。田中が交渉で打った手は、米国の要望をのむ一方で、日本国内の繊維業界に対して2000億円を損失補償とする大胆なものだった。
交渉に参加した当時の通産官僚は言っていた。
「田中さんの交渉での弁論能力の高さには、驚く以外になかった。弁論の切り口、交渉の理解力、頭の回転の速さ、どれをとっても当代一流だった。田中さん以外なら、間違いなく交渉はこじれにこじれていた。日米関係も、重大な局面に陥った可能性が高かった」
秘書官だった小長も同様の受け止め方だったが、感心ばかりしている余裕はなかった。田中から、次のような“注文”が出たからであった。
「国土の改造計画を本にまとめたいが、君、協力してくれんか」
「日米繊維交渉」を決着させ、さらに自信をつけた田中の視線は、すでに佐藤首相退陣後の天下取りにあったということだった。
(本文中敬称略/この項つづく)
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【著者】=早大卒。永田町取材50年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。