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関東組織トップが続々慰問「鎮魂の涙雨」 松葉会 荻野総裁が死去

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提供:週刊実話

 5月15日、その訃報は突然に入った。長きにわたって組織を見守り続けた松葉会(伊藤芳将会長=東京)の荻野義朗総裁が、79年の人生に幕を下ろしたのだ。

「昨年3月に肺気腫で入院し、一時は危篤状態に陥りながらも、持ち直したことがあった。その後、入退院を繰り返していたそうで、今回は亡くなる5日ほど前に入院して治療を受けていたが、容体が急変し、帰らぬ人となってしまった」(他団体幹部)

 翌16日、雨模様の中、群馬県高崎市内にある荻野総裁の関係先には、住吉会(関功会長=東京)、双愛会(椎塚宣会長=千葉)、関東関根組(大塚成晃組長=茨城)などが焼香に訪れ、故人との別れを惜しんだ。

 荻野総裁は、平成21年に松葉会の六代目会長に就任。会長代行を務めていた頃から後継指名されていたが、跡目問題が表面化し、一時は危機的状況を迎えた。しかし、親戚団体である山口組などが事態の沈静化に奔走。荻野六代目体制が新たに誕生したのだった。以後、山口組との繋がりも強め、時候の挨拶では最高幹部らを引き連れて新神戸駅に降り立ち、総本部へと向かう姿が見られた。

 平成26年、当時は会長代行だった伊藤会長に跡目を譲り、自身は総裁に就任。ところが、一部の親分衆が独立組織を結成し、またしても松葉会は予期せぬ事態に見舞われたのだ。

 水面下では、松葉会主導で話し合いが進められ、平成29年、その独立組織は名称と代紋を変更。晴れて円満和解となったのが、現在の関東関根組である。

 荻野総裁は体調を考慮してか、晩年には松葉会の年中行事に出席しておらず、本誌取材班が最後に姿を捉えたのは、一昨年2月、牧野国泰五代目の通夜だった。弔問客が途切れることなく訪れ、斎場内が慌ただしい雰囲気に包まれる中、身じろぎもせず静かに座る姿があった。まるで、自身が歩んだ激動の極道人生に、思いを馳せるかのように――。

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