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日本で猛威を振るった疫病史 〜クルーズ船乗客「隔離」は世紀の愚策〜(1)

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提供:週刊実話

「横浜港の孤立化したクルーズ船の検疫は、検査方法のなかった過去の遺物ですよ。あのような隔離措置は考えられません。世界中が注目し、政府のやり方には批判的です。無症状者を有症状者に発育させる効果は大きく、孵卵効果があるといわざるを得ない」

 新型コロナウイルスの集団感染が起きているクルーズ船『ダイヤモンド・プリンセス』について、厚生労働省は2月16日までに19人(日本人11人、外国籍8人)が重症化していることを明らかにしたが、医師で作家の外岡立人氏は政府の措置を冒頭のように痛烈に批判し、こう続ける。

「逆に評価が上がっているのが、中国の習近平国家主席です。マスクをつけて北京で感染者の治療にあたっている医療スタッフを訪問した。翻って日本はどうか。誰も責任ある行動をしない。恥ずかしいですよ」

 実を言えば、今を遡ること約140年前の1878年、西日本を中心に日本でコレラが流行した際、明治政府が流行地の清から直航してきたドイツ船『へスペリア号』に検疫を要求したところ、ドイツ船はそれを無視、軍艦に護衛され横浜港への強行入港を許してしまった。

 ドイツ船入港で関東地方にコレラが上陸し、10万9000人が死亡。当時はまだ「不平等条約」が結ばれていた時代だったにせよ、『ダイヤモンド・プリンセス』隔離措置はそれを思い起こさせる愚策なのである。

 江戸末期から明治初期にかけては、日本全国が感染症の猛威にさらされた。

「コレラについて言うなら、安政五カ国条約が結ばれた1858年から3年間に全国的に大流行となった。以後、明治に入っても2、3年間隔で万単位の死者を出す事態が続き、1879年、1886年には死者が10万人を数えたほど」(厚生労働省関係者)

 海水温が上昇すると、コレラ菌が生育しやすいとされ、現在は1961年にインドネシアで始まった7回目のパンデミックの途中と考えられている。

 インフルエンザは、これまで数回のパンデミックを起こしている。20世紀に3回、21世紀はこれまで1回発生しているが、とりわけ、大参事となったのが1918年のスペイン風邪だ。

「スペイン風邪は1918年、米国で始まっている。当時は第一次世界大戦中で、それが米軍のヨーロッパ進軍と共に大西洋を渡り、ヨーロッパで大流行したんです。中でもドイツ軍の間で大流行しました。その年の秋に流行の第2波が始まり、病原性の強いものが世界中で流行した。死者は公式には5000万人とされていますが、一説には2億人とも言われている」(外岡氏)

 こうしたパンデミックの背景には、都市部への人口密集が進んだことや、鉄道や航路などの交通網が急速に発達して、人の長距離移動が活発化したことが挙げられるという。

 鳥インフルエンザは、鳥類に対して感染性を示すA型インフルエンザウイルスの感染症。通常、ヒトには感染しないが、家禽やその排泄物、死体、臓器などに濃厚な接触があった場合に、ヒトに感染した事例が報告されている。

 また、鳥インフルエンザがヒトからヒトに感染することは極めて稀である。ただし、患者の介護などのため、長時間に渡って濃厚接触のあった家族などが感染することがある。

「ウイルスが変異してヒトからヒトへの感染力を持つようになると、新型インフルエンザとして猛威を振るう可能性がある。中国ではニワトリにワクチンを打ってそれを抑えているが、そのため、ウイルスそのものが変異している可能性があるのです。引き続き、監視していく必要があります」(外岡氏)

 麻疹は麻疹ウイルスによって感染する。感染力は非常に強く、高熱、咳、鼻水、全身に発疹ができ、口中にコプリック斑と呼ばれる白い斑点ができる。

 日本でも古くから知られ、平安時代には全国的な伝染病となって京都を襲い、貴族も大勢死亡した。ほとんどの人が一生に一度は罹る重症の伝染病で、江戸時代までは「命定め」として恐れられた。

 WHO(世界保健機関)では2015年に日本を麻疹の「排除状態」にあると認定したものの、近年、外国人観光客によりウイルスが持ち込まれ、再び汚染国として認定されようとしているという。
(明日に続く)

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