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蝶野正洋の黒の履歴書 ★プロレスリング・マスターズの裏話

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提供:週刊実話

 先日、後楽園ホールで「プロレスリング・マスターズ」が開催された。

 レスラーはみんなジジイだから危ないし、何が楽しいのかと思うけど、後楽園ホールに集まった超満員のお客さんはみんな笑顔で、心からプロレスを楽しんでるようだったね。

 俺はセミファイナルに出場して、天山広吉、小島聡、ヒロ斎藤、スコット・ノートン組のマネジャーを務めさせてもらった。テーマ曲『CRASH』で入場したんだけど、すごい歓声だった。トークイベントや、年末の『ガキの使い』でも俺の登場時に同じ曲がかかるけど、やっぱり後楽園ホールで聞く『CRASH』は違って聞こえるし、心に火が点く感覚になったよ。

 俺は試合前にマイクを取って「このリングに上がってる選手は、みんな体調が悪い」とアピールした。お客さんは笑って聞いてくれたけど、全部ホントのことなんだよ。ノートンは2年ぶりの試合で、肩や腰のケガが治りきっていない。天山だって、腕が肩から上に上がらないんだよ。それでも試合が始まればモンゴリアンチョップができるんだから、リングっていうのは不思議な場所だよな。

 俺たちの対戦相手は、ザ・グレート・カブキさんが率いる「平成維震軍」だったんだけど、まぁ、厄介なやつらだね。俺も最後は越中詩郎選手のヒップアタックを喰らってしまったよ。

 メインは永田裕志、中西学、西村修VS武藤敬司、ライガー、馳浩の6人タッグマッチ。入場からフィニッシュまで、場内は凄い盛り上がりだった。

 特に注目を集めたのは馳先生だったな。知っての通り、馳先生はいまや自民党の大物議員。だけど、しっかり体を作り上げて、対戦相手をジャイアントスイングでブン回して、一番元気だった。
「このリングが生きがい」
 って言ってたけど、たいしたもんだよ。

 馳先生は、デビューした頃はスーパールーキーの超エリートだった。それが、試合中に心肺停止する事故にあって、それから変わったというか、吹っ切れた。黄色いタイツになって、試合内容もガラッと明るくなったんだよ。

 だけど、その頃から馳先生は、試合前は緊張してえづく(戻す)ようになった。事故の記憶が蘇るのか、覚悟を決めているのか、いつもゲーゲー言ってたね。今回も、あの頃とおなじようにえづいてたらしい。

 俺もリングに上がる前は、独特の気持ちになる。ノートンだって、試合前は殺気立って、あたり散らしてたよ。あの試合前の緊張感というのは、マスターズと呼ばれる興行に出場するほどキャリアを積んでも、変わらないものだね。

 武藤選手もナーバスになっていたと思う。ヒザの手術をして、人工関節を入れたといっても、それで全盛期の動きに戻るわけではないからね。ヒザ以外もガタがきてるから、よくて現状維持。でも、試合が始まると、ブランクを感じさせない動きをするんだから、さすがだと思ったよ。

 試合後にライガー選手が「引退する前にまたマスターズをやってくれ」って言ってたけど、みんなガタがきてるから、いつまで続くかは分からない(笑)。だけど、俺も越中さんに借りを返さないといけないから、それまでは終わらせないぞ。

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蝶野正洋
1963年シアトル生まれ。1984年に新日本プロレスに入団。トップレスラーとして活躍し、2010年に退団。現在はリング以外にもテレビ、イベントなど、多方面で活躍。『ガキの使い大晦日スペシャル』では欠かせない存在。

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