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稀勢の里が大関へ! 基準満たさずとも大関昇進の裏事情

 11月30日、日本相撲協会が理事会を開き、関脇・稀勢の里(25=鳴戸)の大関昇進を決めた。新大関誕生は今場所の琴奨菊に続き、2場所連続となった。

 稀勢の里は大関獲りが懸かった先の九州場所(11月13日〜27日=福岡国際センター)を、10勝5敗の星で終えた。大関昇進には直前3場所で33勝以上上げていることが目安とされているが、稀勢の里は32勝で星が足りなかった。しかし、その相撲内容、将来性、横綱・白鵬との対戦成績がこの6場所で3勝3敗と五分の星を挙げていることなどが評価され、基準を満たさないなかでの昇進となった。

 平成以降では32勝での大関昇進は99年3月場所で昇進した千代大海(現・佐ノ山親方)以来、約13年ぶり2人目。その千代大海はケガにも泣かされ、実に14度もカド番を迎えた末、大関在位65場所(魁皇=現・浅香山親方と並び1位タイ)で関脇に陥落した。

 そもそも、協会には大関昇進に当たっての明確な基準はない。直前3場所で33勝以上という目安は、あくまでもマスコミがつくったものといわれている。つまりは昇進させるかどうかは、星だけではなく協会の思惑が絡んでいるということになる。

 ここ最近では01年1月場所での琴光喜(後に昇進=解雇)=34勝、06年7月場所で2度目の昇進を目指した雅山=34勝、昨年1月場所での把瑠都(翌場所に昇進)=33勝のように、33勝以上を上げたのに昇進を見送られた例もある。これらには大関陣の人数が多く、安易に上げたくなかったなどの事情がはらんでいる。

 逆に基準に満たなかった千代大海の場合は、5年間新大関が出ておらず、新大関待望論が渦巻いていた背景があった。また、時代をさかのぼれば、66年9月場所で昇進した北の富士(後に横綱に昇進)に至っては、わずか28勝で大関昇進を遂げた。これには、大関が一人しかいなかったという裏事情があった。

 それでは、なぜ稀勢の里は基準を満たさずとも昇進できたのか。大関はすでに4人おり、どうしても新大関が必要な状況ではなく、むしろ多すぎるほど。通常なら、もう1場所見てという結論が出てもおかしくない。それでも昇進させるからにはワケがある。

 現在の角界は致命的な人気下落、大関陣のふがいなさという問題点を抱えている。人気回復のためには強い日本人大関の登場が不可欠。稀勢の里は琴奨菊とともに、その任務を背負ったわけだ。これで、来年初場所には日本人新大関誕生という話題性が付加できるのだ。八百長問題で揺れた今年の角界だが、かねて、稀勢の里は“ガチンコ力士”として定評があった。今回の昇進は、その論功行賞的意味合いもあるだろう。同様に“ガチンコ力士”として鳴らした貴乃花親方の評価が高いのも当然のこと。

 最後に付け足していうならば、稀勢の里は大関獲りが懸かった九州場所直前に師匠・先代鳴戸親方(元横綱・隆の里)を亡くす悲運に見舞われた。精神的ショックも大きく、通夜、葬儀に出席のため帰京し、けい古量も不足した。その状況で10番勝ったのだから、「親方の逝去がなかったなら、もっと勝てたはず」との同情論も味方したようだ。

 基準を満たさなかった昇進は、協会から大きな期待を寄せられているなによりの証拠。稀勢の里にはぜひ、その期待に応えて横綱を目指してほしいものである。
(落合一郎)

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