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新日本、第3世代の一角“野人”中西学の引退を発表!2.22後楽園で

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中西学

 新日本プロレスは7日、都内の事務所で会見を開き、菅林直樹会長が中西学の引退を発表した。『中西学引退記念大会』 は、2月22日東京・後楽園ホールで開催する。

 中西は4日に東京ドームで行われた『レッスルキングダム14』の第0試合に永田裕志とのタッグで出場。天山広吉&小島聡と第3世代タッグ対決を行ったが、小島のラリアットで3カウントを奪われた。

 試合後、リング上で四方に礼をして去っていたため進退が心配されたが、インタビュールームでは「ドームで試合を組んでもらえたから、その喜びを永田選手と分かち合ったというか、まあいろんな意味で、いろんな思いがあるんで、それで、ああいうふうにしました。ホントに。やっぱレスラーですから」と説明。

 「とにかくドームがあるなら試合したいのが当たり前じゃないですか、レスラーである以上。勝てたら一番良かったけど、永田の最高のサポートがあって、思い切り暴れられたんやけどね、最後勢い余ってやられてしまった」と振り返りつつ「まあ勢いもなくやられるよりは、勢い余ってやられるほうがまだええから。まだ初っぱなやから。まだまだ続くんで、よろしくお願いします」と今年の抱負を語っていただけに、来月に引退するとは意外だった。

 中西は1992年のバルセロナオリンピックにレスリングの日本代表として出場。同年10月に開幕した『SGタッグリーグ』で、未定とされていた藤波辰爾のパートナーとして大抜擢され、サプライズ的なデビューを飾っている。1999年8月には『G1クライマックス9』の決勝戦で武藤敬司を下し初優勝。IWGPタッグ戦線では、永田や小島とのコンビで王座を獲得。2002年10月には東京ドームで、ボブ・サップと好勝負を繰り広げ、2003年には総合格闘技やK-1のリングにも登場、オリンピック経験者としての才能を発揮している。

 2009年5月には棚橋弘至を大☆中西ジャーマンで下し、デビュー17年目にして悲願だったIWGPヘビー級王座を初戴冠。ファンはその姿に涙を流した。2011年6月、試合中のアクシデントにより、「中心性脊髄損傷」を負って手術を行い長期欠場へ。翌年10月に復帰を果たしたが、復帰前の動きを取り戻そうと苦悩の日々を送った。ここ数年は、天山、小島、永田らと“第3世代”として活動していた“野人”中西だが、昨年11月に開催した『ワールドタッグリーグ2019』では、永田とのタッグで過酷なリーグ戦を乗り切っただけに、今回の引退にはファンからの惜しむ声が多い。

 中西の代名詞であるアルゼンチン・バックブリーカーを見られるのもあとわずか。新日本が厳しかった時代を支えた選手がまたひとりリングを去る。

(どら増田)

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