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維新の党分裂 橋下・松井「新党」で悲願の安倍自民合流(1)

 橋下徹大阪市長が自民党との合流に大きく動き出した。8月28日、地域政党・大阪維新の会の会合で国政政党『大阪維新』の新党設立をブチ上げたため、永田町では「いよいよ橋下の天下獲りが始まった」と上へ下への大騒動となっているのだ。
 「ここ数日の橋下氏の言動はめまぐるしく変遷し、その動きに“ブレすぎ”との批判もある。橋下氏は維新の橋下派の議員に“離党しないように”と釘を刺すメールを送信したのに、それが翌日には“新党立ち上げ”ですからね」(夕刊紙記者)

 確かに橋下・松井(一郎・大阪府知事)両氏の8月末の動きは、あまりにも性急に見えた。
 しかし、大阪維新の会関係者はこう明かす。
 「今年6月、橋下氏と松井氏らが都内で安倍首相と会談の場を持っているのですが、そのあたりから周到に練られた“新党立ち上げ”で、根っ子は少しもブレていませんよ」
 となれば、当然、今回の騒動もその流れの中の一環に過ぎない。

 発端は、柿沢未途・維新の党幹事長が山形市長選(9月13日投開票)で、党として推薦を見送った民主支援の新人候補を応援に行ったことに始まる。その行動に事前に応援を諌めていた松井氏が激怒し、幹事長辞任を強く求めたが、柿沢氏が固辞。結果、橋下・松井両氏の離党から新党騒動に繋がった。
 この動きを、先の大阪維新の会関係者はこう解説する。
 「両氏はいつ喧嘩して離党するか、そのタイミングをずっと狙っていた。それがストーリーの第一段。絶好の口実を、柿沢氏が折良く提供してくれたわけです」

 それでは、前記の6月の安倍・橋下会談はどういう流れで行われ、どのような話し合いが持たれたのか。
 橋下氏といえば、かねてから安倍シンパぶりを見せてきた。今年1月14日には、関西テレビの番組に出演した安倍首相が「大阪都構想は意義があること」と発言したのに対し、橋下氏は直後に「嬉しくてしょうがない」と大はしゃぎ。安倍首相が政治家としての集大成とする憲法改正について、「絶対必要。(安倍)総理でなければできない仕事。(僕が)何か出来ることがあればなんでもする」とまで述べ、“安倍命”を宣言した。

 しかし、5月17日に行われた大阪都構想の住民投票では1万票の差で敗北し、橋下氏は12月の市長任期満了での政界引退を表明。加えて、敗北の責任を取り維新の党代表を辞任した江田憲司氏に代わって、松野頼久氏が代表に選出された。松野氏は、それまでの維新の安倍自民寄りの姿勢から大きく舵を切って、民主党幹部らと野党連合を模索し、極秘会談を重ねるようになる。
 「安倍首相や橋下氏は、この動きに危機感を抱いた。そして6月14日夜、虎の門ヒルズ内のホテルで安倍首相、菅義偉官房長官、橋下・松井両氏の4人で3時間の密談を行い、そこで早くも松野・柿沢体制危機論と、最悪の場合、松野維新解体のストーリーが話し合われたとされている。それをベースにいったん帰阪した橋下・松井両氏と、安倍首相の意向を受けた菅官房長官らはさらに密談を重ね、本格的な松野・柿沢潰しのストーリーを書き上げたとも言われているのです」(前出・大阪維新の会関係者)

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