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競輪人国記 広島(1)

 広島といえばオールドファンの記憶に残っているのは古田泰久だろう。大ギアを生かしたまくり、先行は迫力十分だった。選手生活の後半は4.25の大ギアで直線の長い400バンクや500バンクでその威力を見せた。戦時中には予科練兵として入隊、鹿児島県鹿屋で搭乗員訓練を受けていた。

 戦後の昭和24年6月に選手登録、32年4月の高松・全国都道府県争覇4000メートルで優勝すると、同年9月の門司、翌33年3月の花月園と3連覇。35年7月の一宮4000メートルも制して「都道府県の鬼」とさえいわれた。
 大ギアながらも現在の選手とは違って、仕掛けどころを決め、ものすごいスピードで前団をたたき切ると、末脚の粘りを生かし、押し切ってしまうレースだった。

 昭和48年4月8日の高知で「千勝クラブ」入りした。現役通算勝数は1188勝。平成6年に名輪会ができると会員になり、各地サイン会にも姿を見せている。
 選手会支部長としても活躍した。中国地方にとどまらず選手間のボス格だったが、番手主張のレースはせず「実力で来い」というタイプだった。記憶に残るのは、いかつい表情と淡々としたレースぶり。勝っても負けても表情は変わらなかった。
 古田の弟・義雄は追い込み型で特別競輪に出場したが、兄の実績には及ばなかった。しかし、しぶといレースは穴ファンに人気があった。

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