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「時代」を彩った男と女・あの人は今 元中日ドラゴンズ選手・藤王康晴さん

 1984年1月8日、前年のドラフトで中日に入団した4人の新人選手が自主トレを開始した、と中日新聞が報じた。高校出身の期待のルーキーがナゴヤ球場で基礎トレーニングをしている姿の写真も添えられていた。その中にドラフト1位、いわゆるドラ1の藤王康晴の姿があった。

 藤王は愛知県一宮市立大和中学から高校野球の名門・享栄高校に進学。第55回全国選抜高校野球大会で11打席連続出塁を記録して注目を集めた。
 そして高校時代に通算49本塁打をマークしたことで、多くのプロ野球のスカウトから「超高校級のスラッガー」と称され、83年のドラフトでは地元中日球団が1位に指名した。
 背番号は高校ルーキーながら、異例の「1」だった。これは引退した高木守道が付けていた背番号だが、引退後に付ける選手がいなかったこともあって、藤王に渡された。それほど期待されてもいたのだ。
 藤王は1年目の夏、いきなり1軍に昇格、代打起用で優勝を争う試合で活躍した。初出場・初安打・初打点はともに84年7月14日の対太洋戦であった。

 7回、藤王は投手・郭源治の代打で打席に立った。太洋の投手・古賀正明から1塁強襲の2塁打を放った。初本塁打は同年9月23日の対広島戦。9回、広島の投手・北別府学から左翼スタンドに打ち込んだ。華々しい1年目であった。
 しかし、その後はレギュラー争いに加われず、89年オフには小松崎善久とともに日本ハムへ移籍。その年のオープン戦では打率3割4分7厘をマーク、その年は75試合に出場した。だが、翌91年からは出場機会が減り、92年には自由契約となって、そのままプロ野球から引退した。
 中日、日本ハムでの通算成績は273試合に出場、418打数92安打、37打点、10本塁打、打率2割2分0厘であった。
 その後、佐川急便中京支社に転職、セールスドライバーとして勤務しながら軟式野球部でプレーした。退社後は実家の繊維業を継いだ。
 だが、03年にコンビニの店員を暴行して逮捕(不起訴)されたこともあった。

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