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茶の湯を考える 『江〜姫たちの戦国〜』

 NHK大河ドラマ『江〜姫たちの戦国〜』第11回「猿の人質」で、千利休が、3姉妹に茶をふるまう場面が登場した。利休は、自らも幼いころに母親を失った体験を聞かせ、そのことで見えてくるものがあったと語る。悲しみと秀吉への恨みから、3姉妹は、利休の言葉を体感することをしない。第12回「茶々の反乱」で再び、利休が3姉妹に茶をふるまった。今度は、茶々は秀吉への憎しみを言葉にする。利休は、「私に見えるものは一服の茶だけ」と告げる。茶々は「私にはわかりません」と拒絶するも、もう一つ上に行くには敵よりも大きく太くならねばならないという利休の言葉を、くやしさとともにかみ締める。

 堺出身の千利休は、武野紹鴎に師事し、禅の心を茶に取り入れた。信長・秀吉に仕え、秀吉から切腹を命じられた。千利休が確立した茶の道の基礎は、茶の世界にとどまらず、日本人の生活と文化に影響を与え続けている。

 茶の湯とは、なんなのであろう。4畳半、子どもでもかがまないと通れない「にじり口」、花は一輪、水は一勺一勺。それが信長の中の何かをつかみ、秀吉の心をとりこにした。千利休は「自分が死んだのち、百畳、二百畳の茶となるべし。これ、利休が罪なり」と語ったという。

 大河ドラマの中で、江は、市から織田家の誇りを託されている。同時に、自分の信じるままに生きることを命じられている。このことは、江が、「織田家の女の戦国」という呪縛から解放されていることを意味する。「織田家の女の戦国」に殉じた市には、娘の江を呪縛から解放する資格があった。いっぽうで、呪縛から解放されたことは、(織田家の女の戦国ではなくて)自分自身の「戦国」を見つけなければならないという使命を江に与えた。

 『江』では、信長の人生は、乱世に生きた「男の戦国」として描かれている。市の人生は、乱世に殉じた「女の戦国」。3姉妹の前に広がるのは、そのどちらでもない「戦国」。信長とも、秀吉とも、浅井長政とも違った形の、それでいて、それらに一歩も劣らないすさまじい「戦国」を生きた利休から、茶をふるまわれていることが印象深い。

 江が生きる「戦国」とはなんなのか。江は何を求め、何を見出すのか。引き続き、茶の湯に注目したい。(竹内みちまろ)

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