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経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(17)

 兄弟子たちから「しみったれ」と言われても気にしないで給金を貯めていたが、義母に取られてしまうのでは貯めても無駄だと思って暗い気持ちでいた。次の日、芳松が徳次に声をかけた。
 「昨日、おっかさんが来たんだってな」
 徳次は“おっかさんなんかじゃない”と思ったが黙って頷(うなず)いた。芳松は、「今度っから全部、渡しちまうことはねぇんだぞ。今にいい職人になれるんだから辛抱しな。俺には全部わかってる。しっかりしろよ」と言ってくれた。
 芳松の言葉に、思わず声をあげて泣いた。
 初めは8銭だった小遣い銭も、日が経つにつれて少しずつ上がった。徳次は義母に給金の全額は渡さず、少しずつ貯めていった。

 坂田の店で7年7カ月の年季奉公を務める間に、徳次が貰った給金は総計48円63銭。自分の手元には残らないながら、金銭出納簿を作って記録していた。
 奉公に入ってから3年も、ワラの炭の粉を付けて金属を磨く仕事ばかりしていた。明けても暮れてもウスで炭を搗(つ)いて細かく砕き、ふるいにかけて粉にして製品を磨く。こうして地金の汚れを取り、次に朴(ほお)炭という研磨用の炭で磨き、さらに硬い鋼(はがね)のヘラでこすって製品をぴかぴかに光らせたら仕上がりだ。
 この一連の作業が、他の人たちから言い付かる雑用のほか、徳次に決められた仕事だった。新入りの仕事だが、後からは丁稚(弟弟子)が1人も入ってこないので、ずっとさせられていた。
 人一倍辛抱強かったし、坂田の家での待遇にも不満などなかった。
 ただ“ずっとこの仕事しかさせてもらえないのか”“このままでどうやって一人前の職人になれるのだろう”“下働きのまま一生過ごさなくてはならないのか”と、だんだん心配になってきた。他の人たちがやっている仕事が羨(うらや)ましくもあった。

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